PB後進国日本の現実(その2)

加藤 鉱

【ターニングポイントとなった雪印乳業事件】

 PBの正道と邪道が峻別されているのにもかかわらず、日本全体がそれを正しい方向に変えようとする風潮になっていないのは、「表示に販売者だけが記載されていて、製造者が記載されていないのは不安だ」という受け止め方をしている消費者がけっこういるからかもしれない。


 それに乗じてセブン&アイは「製造、販売それぞれの責任を明確にして、お客さまに安心してもらう」と言い、ユニーも「メーカー名も表示することで、信頼感をえられる」と表明している。だが、両社が売っているのは本来の販売者が全責任を負うPBではない。実際にはメーカーとの共同開発商品、あるいはダブルチョップ、ダブルブランドと言うべきものだ。

 また、「食政策センタービジョン21」の主催者安田節子氏も、「PBが消費者の声を採り入れ、国産原料や無添加の商品が出始めている」と評価する一方で、表示については「消費者としては、製造者まで確認できるものを買いたい」と述べているのは残念である。というか、本来のPBの使命を理解されているのだろうかと訝ってしまう。

 いささか言葉が尖ってしまったが、いま一度、2000年に起きた「雪印乳業事件」を思い起こしてほしい。

 メーカーは本当に消費者と向き合っているのか、いないのか。向き合っていないことを図らずも証明したのがこの事件であった。それまでも食品の偽装表示、食中毒事件、賞味期限問題等々を名前の通ったメーカーが引き起こし、われわれを疑心暗鬼にさせていたものの、なんとか多くの消費者はメーカー性善説の側に踏みとどまっていた。

 だが、誰もが呆れるほど杜撰、かつ不衛生な管理状況を露呈した「雪印乳業事件」がターニングポイントとなり、メーカーはそれまでの信頼を急速に失っていった。その時点で、消費者のNBに対する考えが大きく変わったことを、メディアも政府も、肝心のメーカー自身も正しく理解していない。この潮目があって、PBが消費者に受け入れられるようになり、本格的なPBブームが到来したわけである。

【メーカーに対する牽制機能の有無】

 大きく分けて、以下の2つの条件を満たさなければPBの資格はないと私は考える。

 1つは、消費者の視点からの商品開発。日々小売の現場で消費者に接し、ニーズを吸い上げて商品開発を行えることだ。消費者の変化に対応でき、メーセージを発せられる商品がPBだと思う。これは商品はメーカーの責任で、販売は小売業の責任という分担にピリオドを打つものである。

1つは、メーカーに対する牽制機能。PB開発の川上から川下までかかわる仕組みを自前でもっていること。具体的には、原材料検査、工場巡回、抜き取り検査などを実行する部隊、研究機関を備えていることだ。これにより、メーカーに対して消費者視点での牽制ができるのが強味となる。こうした牽制機能がないかぎり、メーカー側に品質管理を頼らざるをえなくなる。

だから、PBを販売する小売業の問い合わせ先がメーカーとなってしまうわけである。PBの根幹にかかわる業務までメーカーに依存するのは、その小売業側に牽制機能がないからに他ならない。

かつてテレビのニュースで、「セブン&アイがつくるPBのセブンプレミアムはなぜ製造者名を出しているのですか?」とレポーターから問われ、同社広報担当者はこう返した。

「メーカーさんのほうが品質管理に長けています。一日の長があるのでそうしているのです」

 こうしたメーカーに対する牽制意識のなさは、本来のPBのコンセプトからまったく逸脱している。つまり、セブン&アイにはPBを委託製造させているメーカーに対して牽制機能がないことをわざわざ告白しているわけである。

品質管理をメーカーに頼る。しかも問題が起きたときの問い合わせ先はメーカーへどうぞ。消費者に対する説明責任まですべてメーカーに押し付けている。これはグローバルスタンダードに照らすならば、到底PBとは言い難い。

 昨秋、そんなセブン&アイから主力PBセブンプレミアムをグローバルに販売するとの発表があった。知り合いの欧州系穀物商社のベテランバイヤーはしきりに首を傾げていた。

「海外では法律規制が多く、世界共通商品の開発は大変難しい。それよりも気になるのは、表示法です。海外でPBとして出すには『販売者セブン&アイ』にしなければなりません」

 仮にそうなると、明らかなダブルスタンダードとなる。つまり、海外で売るPBについては自社で全責任を負い、日本で売る「自称」PBについての責任の所在はウヤムヤというわけである。そうだとすれば、ちょっと許しがたい話である。

ノンフィクション作家 加藤鉱