クリエイティブであることと、あり続けることの秘訣とは -小川浩( @ogawakazuhiro )

ご存じの読者もいらっしゃるかもしれませんが、僕が経営するモディファイという会社は、2010年7月1日からオプトグループの傘下に入っています。

ベンチャーにはExit(出口もしくはゴール)はIPOかバイアウトであると以前にも書きましたが、今回のわれわれのケースは正直どちらでもなく、次のステップに進むためのピットインであって、今後モディファイという会社がどのような成長をしていくのかは、まだほんの途中であると考えています。
従って、僕自身も以前と何ら変わることなく、今の事業の推進に取り組んでいます。

それはともあれ、僕にとっての今回のモディファイのオプト入りのように、自分たちの人生にとって、大切な契機が訪れることはよくあります。学生にとっては就職だし、恋人同士なら結婚もしくは別離かもしれません。いずれにしても、人間にとって、人生は後戻りの出来ないレースであり、いつかそれが終わるまでは走り続けなくてはなりません。その中で幾つかのアクシデントやトラブルや、もしくはイベント、よいことか悪いことかすぐには分からないけど突発的な事件、というものは本当によく目の前に現れます。


そうしたさまざまな契機が訪れたとき、もちろん誰もが自分なりの判断を下し、自分が正しいと信じる行動をとることを決断します。
決断することは実は非常にクリエイティブな行為です。

クリエイティブとは創造することですが、そのためには何かを捨てて何かを拾うという決断が必要です。華道において、自然から授かった花をさらに美しく活けるためには不要な葉や花を思い切って切り落としたりします。新しい商品を作るときも、必要と思われることをすべて盛り込んでしまえば不細工な機能の集合体ができあがるだけです。美しさとは、ある種のはかなさであり、それを生むには何かを犠牲にしてでも、突出した良さを強調しなくてはならないのです。それが決断するということであるし創造するということです(Appleは、ジョブズはこれが極端にうまい)

自分の人生にとって、なにか重要な局面があらわれて、契機が訪れたとき、誰もが必ず決断をします。
それは非常にクリエイティブな行為です。しかし、同時にその行為は受動的なものであり、真のクリエイティブな人間が能動的であることを思うと、その行為の創造性がわずか一瞬のモノに過ぎないことがわかります。

つまり、僕が言いたいのはこうです。

人間はいつでもクリエイティブな行為をしているが、それは瞬間的なものであり、クリエイティブな人間=クリエイターになろうと思うのであれば、その行為を常に自ら起こしていかなければならないということです。
それには、自分にとっての重要な契機があり、何かの決断をしたとしたら、そこから改めてその後の自分の人生を再設計してみる必要があります。日々の小さな決断、時としてくる大きな決断の機会を、瞬間的な点にせず、点と点を結び、自分の人生の絵を描くのです。
この作業をしていると、仕事のうえで毎日訪れるさまざまな局面をつなぎ合わせて、先にくるであろう未来を予測したり、そのあとに現れるであろう新しい世界の形を削りだしてビジョンにすることが可能になります。

ゼロから何かを生み出すことは非常に難しい、実はそんなことができることは世界に常に数人もいないのです。
しかし、自分が行う小さな決断をつなぎ合わせていくことで、より重要な決断を迫られる契機が来たときに慌てず、正しい選択を行うことができるようになります。そしてそれらを連続したものと考えて、なぜ自分がそうしたのか、それによって今後どうなるのかを常に考えます。それがクリエイティブであるための一つの秘訣です。

オプトグループ入りして1ヶ月半経ちました。
環境にもなれてきたし、事業もわりと好調です。

しかしそれ自体は僕の今後の人生にとって、あるいはモディファイの成長にとってあまり関係がなく、もっと遠くを見ながら自分の決断が引き起こすであろうさまざまな変化と、外界の環境変化を見つめながら、何が起きていくのか、どう生きていくべきなのか、どんなサービスを作るべきなのかをひたすら考えていく。自分の世界と、外界をつなぎ、過去と現在と未来をつなぐ無数の点をひたすらみつめ、考え、つないでいく。それが大事だと思っています。