私たちの未来と中国 - 余野部 剛

アゴラ編集部

先日の党代表選挙で圧勝の結果を手に入れた菅政権は、その勢いに乗じてついに為替問題の対応に腰を上げた。しかし介入の成果もあやふやなままに、大阪地検のスキャンダルに引き続き尖閣諸島沖事件の処理と、早速政治の指導力が問われる困難な課題の洗礼を受けているようだ。


その尖閣問題における前原大臣の対応を、かつての偽メール事件の時と同様の若さ故の勇み足と見なした仙谷官房長官は、大人の勤めだとでもいうように留守を見計らってその尻ふきに乗り出したが、失態を演じたばかりの検察にこれ幸いと憎まれ役を割り振ったのは良いとしても、同時に自分自身の尻を世界にさらしてしまったことには気付いていないようだ。というのは、党の内外に中国との調停役としての小沢氏に期待する声が高まり、この件で彼が得点を稼ぐのを何より恐れた仙谷長官および菅首相は、なりふり構わず事態の収拾を急いだからだ。幅広い影響を及ぼす極めて微妙な国際問題を前にして、ドメスティックな事情まるだしで事に処したために、そのプロセスは外から見る者にとってさっぱり理解不能なものにならざるを得なかった。ただし、お家の事情優先という点では、中国の側も大同小異に過ぎないのだが。。。

以上は私が、例の敏腕検事に倣ってありそうなシナリオを推測で組み立ててみたものである。思えば政治主導を掲げて民主党が自民から政権を奪って以来、経験の浅い彼らが何か動きを見せるだびに、われわれ一般の国民も一緒になって、なぜそう決定したのか、どう決定すべきだったのか、他国はどうしているのか等々、読んだり考えたりしつつ答えを見出そうと馴れない努力をせざるを得なくなった。勿論面倒なことには違いないが、しかし一度味わってしまえば二度と官僚任せの自民党時代には戻りたくなくなるし、父権的な安心感を与えてくれる小沢氏のような政治家を求める気も失せて来る。どれほど滑稽な過ちを繰り返すことになっても、私達がいつか民主主義による政治主導を実現する上でそれは避けて通れない過程なのだし、どれほど非効率な回り道をしているように見えても、それは国家権力に触れずただ目先の経済発展のみに邁進する現在の中国国民のはるか先の段階にある悩みであり問題であると言えるのではないかと思う。

中国。・・・この国が如何に優秀で強大なものであるとしても、私達にとってそれは決してライバルにもなり得なければ、友にもなれない国なのだ。はっきりと言うなら、それは「利用すべき国」に他ならない。そしてもし利用できないならば、我々の方が早晩呑み込まれることになるだろう。かつてアメリカが、核兵器まで使用して全面戦争に勝利することで初めて日本を都合よく利用できる国になし得たことを考えれば、これは限りなく困難な道のりだ。相手が強大な武力を所有する前に、戦いに誘い出して叩いてしまうといったオプションも、核保有国に対しては最初からあり得ないだろう。現実的に考えれば、我々にはせいぜい敵失を待つこと、例えば現在の中国の不動産バブルがはじけて長期にわたってその経済が沈んだり、あるいは軍部が独走して内政を破壊したりすることに期待する他なさそうにも思える。

勿論、我々と同様に中国に圧迫を受ける周辺国がひとつに纏まることが出来れば、その脅威は逆にチャンスに転じるかもしれない。だがそのためには、保護主義的に分裂していく現在の世界の潮流とは逆に、それぞれが開かれた自由な国であろうと努めなければならない。そして何より軍事力や資本や人口に頼らず、知識とイノベーションの点で絶えず自己を更新していく必要があるだろう。そうして初めて中国のみならずその他の世界をリードすることも可能となる。知識至上主義的な社会はまだ今始まったばかりであり、共産主義の実験の失敗も米の金融資本主義のつまずきも単にその序幕に過ぎず、この先何が出現するか予測もつかない。様々な社会的摩擦に堪えきれずこの流れに背を向けるなら、我々には内部崩壊と強大な他者に呑み込まれる運命が待つのみであろう。

(余野部 剛 会社役員 twitter:@tyonobe