私は生まれて初めて国を訴えました - 司法を国民の手に取り戻す一歩として!

2010年10月07日 09:00

度重なる冤罪事件や、大阪地検特捜部の組織的な証拠隠滅事件などをきっかけに、国民は「司法のあり方」に厳しい目を向け出しました。

これ以上「お上」の言うなりにはなれない!

私は、司法に対する国民の疑問が高まったこの時期に、最高裁判所裁判官国民審査へ参加する権利を在外国民から奪う事は憲法違反だとして、国を告訴しました。

明治憲法下において認められなかった「公権力の行使に基づく損害賠償」は、日本国憲法では明確に認めており、国や地方公共団体が、国民や住民の権利を侵害した場合に、その損害を賠償することを国家賠償法で定めています。憲法15条で「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」と規定し、国民は何人も、民事事件や行政事件に関して裁判所に訴えを提起し、裁判所の審判を求めることができる権利が保障されています。

お上の言う事は「正しい」と信ずる日本国民の従順さに支えられ、行政訴訟は門前払い、刑事訴訟は略100%有罪と言う独裁国家顔負けの「恐ろしい司法」が大手を振って来ました。この様な司法の独断専行を許して来た歴代最高裁判事の責任は重大です。

何故なら、最高裁判所は憲法81条で「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と規定され、憲法77条第2項では「検察官は、最高裁判所の定める規則に従わなければならない。」とされている以上、人権蹂躙事件の頻発の一因は、最高裁の怠慢にあると言っても過言ではありません。

官僚の指定席に堕落した最高栽判事

憲法79条の規定で与えられた内閣の「最高裁判所判事の任命権」は完全に骨抜きされ、官僚人事が横行している事は歴代判事の履歴を見れば明らかです。更に、法務省からのおすそ分け人事として、外務省と厚生労働省にも夫々1名ずつの指定席が割り当てられるなど、官僚の天下り制度と何等変りません。日本の司法は独立どころか、霞が関の行政人事の一環に取り込まれているのが実態です。

誰も知らない最高栽判事の価値観や憲法観

アメリカと異なり、日本では最高裁判事がその職に就くに当り、我々国民に自分の持つ価値観や憲法解釈を説明する事すら致しません。日本の憲法上は、我々国民は最高裁裁判官の選任には関与できませんが、他方、憲法は、国民による最高裁裁判官の解任制度を設けています。すなわち、OX式の「最高裁判所裁判官国民審査」制度と言う誠に不完全な制度があります(厳密にいえば、XをつけなければOとみなされてしまう制度です)が、海外在住の日本国民にはこの不完全な制度に参加する事すら許されていないのが現状です。

か弱き国民の最後の手段 - 集団訴訟へのお誘い

米国の様に集団訴訟制度が確立していない日本では、海外に居住する日本人が日本政府を訴える様なインフラは全くありません。今回は、私の知人の紹介で六本木のTMI法律事務所の升永英俊弁護士がプロボノ(志願による無料弁護)ベースで訴訟代理人を引き受けて下さり、やっと訴訟に持ち込みましたが、もっと多くの在外同胞が参加して欲しいものです。升永弁護士の知的財産権や租税分野での高名振りは知って居りましたが、今回の件を通じて「正義感」にも満ちた弁護士である事を知りました。

日本国憲法は、国民の基本的人権の一つとしてその32条で「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と規定しています(なお32条は、適用範囲を刑事事件に限っているわけではありません)。米国の訴訟社会の行き過ぎは肝に銘じる必要がありますが、日本国民が起す訴訟の少なさは独仏に比べても際立っており、其処が日本の良い点だとされて来ました。然し、異常に永い拘置期間のあとで冤罪で泣かされる事例が次々に表ざたになると、訴訟の少ない代りに冤罪が多い独裁国家の様相に似ています。今や、行使すべきときには、泣き寝入りすることなく、憲法上の権利を行使して国民が立ち上がる時期ではないでしょうか。

日本も世論が判決を変える時代となりました

水俣病、アスベスト禍、薬害被害など健康問題を中心とした行政訴訟に国民の関心が高まると、該当する法律が変わらなくとも国家が敗訴する例が続出するようになりました。この事実は、裁判官も世論が気になる人の子である事を物語っています。検察の二度にわたる拒否を跳ね除けて、検察審査会が小沢氏の起訴妥当を決議した事実も、日本の司法が如何に国民の常識や倫理観から乖離しているかを物語っています。

世論の高まりは、刑事事件の動向にも影響を与え、足利事件、富山連続婦女暴行事件、志布志事件など驚くほど多数の冤罪事件がを暴き出され司法への信頼は傷つきました。

「自由」を軽視する司法

アメリカ建国の志の一人であるパトリック・ヘンリーは「自由を与えよ。然らば死を」という名文句を吐いて「自由」こそが民主主義のも最も重要な基本的人権である事を強調しました。

足利冤罪事件の菅原さんの永年に亘る刑務所生活が、一日当り千円から壱万円で計算されると聞き、日本では自由の代償がアルバイト並の安さだと言う事実を知り腰を抜かす程驚きました。一方、自由の旗手であるはずのマスコミが自由の代償の低さに音なしの構えであった事は、如何にも残念です。

日本国民も、全面的な可視化、拘置期間延長の厳格化、弁護人立会い条件の緩和、独立検察官制度の導入を求めると同時に、円滑な捜査の進展を促す司法取引制度や内部告発保護制度の強化を求めて、必要であれば憲法上の権利を行使してでもその実現に立ち上がる時期だと思います。

「バラック建て」の司法制度が日本を滅ぼす

現在使われている下級法の多くが、現憲法と真っ向から対立する理念で制定された明治憲法時代のものでありながら、行政の便宜性を重視してだましだまし使い続けた最高裁の怠慢は、国民を永年に亘りバラック建築に押し込めて来たに等しく、日本が制度的危機に襲われた場合、国民は倒壊したバラックの下敷きになる事は間違いありません。この様な事態に日本を追い込んだ一因は、憲法の番人を命ぜられた最高裁の任務放棄にあると考えた私は、「最高裁判所裁判官国民審査」への参加権を獲得して、これ等裁判官を解任する目的で国を訴えた次第です。

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