TPPの受益者は名もなき庶民 - 根津修二

2010年11月10日 15:13

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に対する議論が日本で盛り上がっている。最初に立場を明らかにしておくと、私はTPPに是非参加するべきだと考えている。なぜなら大多数の国民がメリットを受けられるからである。しかし報道記事、とくに日経をみていると農業VS製造業という構図で捉えられることが多い。もちろんこれも間違いではないが、私はもっと一般消費者の利益を強調すべきだと思うし、それが世論を生み出すことにつながっていくはずである。


本稿の読者には釈迦に説法かもしれないが、貿易のロジックをおさらいしたい。200年前にデヴィット・リカードは、貿易が参加国全てに利益をもたらすことの理論的裏づけを与えた。そのロジックはシンプルだ。あるところに大工仕事が得意な弁護士がいたとしよう。彼は並の大工よりも仕事ができるが、大工仕事をするよりは同じ時間で弁護士をやる方がお金を稼げる。であれば、弁護士としてお金を稼ぎそのお金で大工を雇えばよい。弁護士も大工も、ともにメリットを受けることができる。これが比較優位論である。

では現代に当てはめよう。日本が生産で優位に立つのは製造業だ。他国に日本の良質で安い工業製品を販売し、日本は他国の安い農産物や必要な資源を買う。そうすることによって日本と貿易相手国の双方がメリットを受けられる。

しかし通常先進国では農業が保護され、純粋な自由貿易が成り立たない。もちろん日本も例外ではない。農業に保護が与えられるのは、生産性で劣るが故に所得格差が生じるからである。高度経済成長期を通じて、第二次、第三次産業の生産性向上は著しく、それは給料の上昇という形をとる。これを放置しておけば、農業従事者は相対的に貧しい存在となってしまう。“弱者”となった農業従事者は保護を求めて政治団体を結成し、政治家に票を与える代わりに補助金や高関税といった保護を獲得する。

では、このコストを払うのはいったい誰か。それは名もなき庶民である。ひとつは税金、もうひとつは食料品の高価格という形によって。そして後者の方がはるかに大きい。OECDの「Factbook 2010」の推計によれば、日本の生産者保護は農業生産の47.8%にのぼり、アメリカの6.8%、EUの24.9%と比べてもあまりに高い。消費者が負担している総額は5兆円にのぼり国民一人当たり平均で約4万円、世帯あたりで約10万円になる。

もし、TPPへの参加を逃せば、これに製造業の逸失利益が加わる。通常先進国の労働分配率は概ね7割なので、TPPによって仮に10兆円GDPが増えれば、7兆円が給与として労働者に分配される。一人当たり平均で約6万円、世帯あたりで14万円になる。

もちろん農業は大切な産業であり、多少の負担をしてでも振興すべきことに私も異論はない。しかし、そもそも関税保護が本当に日本の農業の為になるだろうか。過保護はモラルハザードを起こし自身の成長を妨げる。農業の生産高はここ20年で8兆円から4.4兆円、農家数は380万戸から175万戸、平均就業年齢65歳、耕地面積は520万haから460万haまで減少した。農業政策の失敗は誰の目にも明らかである。保護を与え続けた結果農業が弱体化しさらに保護を求めるという負のスパイラルに陥っている。

今必要なことは勇気をもってこの負のスパイラルを断ち切ることである。最も望ましい状況は、生産性の高い農業によって安く安全な農産物が国民に届けられ、その結果農業従事者も十分な利益をあげられることである。農業関係者は関税保護ではなく、どうしたら生産性が向上するか、そのためにはどのような公的援助が必要なのかということを前向きに訴えて欲しい。その為であれば、国民も税金を投下することに納得するだろう。なお、民主党の無差別な戸別所得補償は生産性の低い農家を温存することになり、全く真逆の方向であることを指摘しておく。

最後に農業生産の外部性(安全保障、環境保護、文化などのお金で計れない価値)は確かにあるが、例えば食の安全保障などはむしろ海外からの多様な供給源を確保することによっても達成されうるものであり、慎重な議論が必要である。また、貿易も同じように外部効果を持つ。先人の言葉を借りてこれを指摘し、論考を締めくくりたい。

「貿易がもたらす知性、モラル面でのメリットは、経済的なそれをはるかに上回る。考え方や行動様式の違う人々との接触がうまくいっていない現代において、この効果を強調してもしすぎることはない。以前”愛国者達”は、よほど世界状況に造詣が深くなければ自国以外の全ての国が弱く、貧しく、不正がはびこっていることを望んだ。しかし今やそんな人々でも、他国の進歩と繁栄が自国の進歩と繁栄につながることを知っている。」-ジョン・スチュアート・ミル

隣国に対する不寛容、不理解が増長しているように見える今こそ、100年以上前の彼の言葉が輝きを放っているように思われる。
(根津修二 ロンドンビジネススクール(MBA履修中)Twitter:@snezu ブログ

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑