有難う「中国人漁船長」- 尖閣事件で得た貴重な教訓!

北村 隆司

尖閣事件での中国人漁船長の愚かな行為は、日本が抱える問題を鮮明に映し出して呉れた。

領土を巡って中国と緊張関係にあるフィリピン、ベトナム、マレーシア等が日本擁護に動かないと察知したロシアは、大統領に北方領土を訪問させる事で国内問題である事を誇示した。戦争の決着がついてから、日本の北方や満州で侵略を開始したロシアの火事泥外交の伝統は健在である。

伝統の維持では日本も負けてはいない。国内論議や手続きのもたつきでポツダム宣言やソ連参戦への対応が遅れ、日本国民に莫大な被害を与えた伝統はこの事件でも守られた。


領土権を主張するなら、竹島(韓国)や北方領土(ロシア)等と同様、日本も尖閣や沖ノ鳥島の実効支配に踏み切る勇気が必要である。それが嫌なら、領土、領土と騒がない事だ。

尖閣事件は、稚拙きわまる鳩山前首相が日米の絆を弱めた隙に起きた事件である。日米対等を主張する事は良いとしても、尖閣や北方領土問題で実感した外交の厳しさを肝に銘じ、日本が出来る事を米国に示した上で主張すべきであろう。

湾岸戦争対策でデビューした「金は出しても他人の為には血も汗も流さない」日本の外交政策は、沖縄に異常とも思える税金は投入しても、基地の肩代わりはしない国内政策と整合している。これでは、沖縄県民が怒るのも当然で、その怒りを米国に押し付けるとしたら、子供の我侭に等しい。責任は日本の「頬かむり」文化にある。

「漁船衝突事件のビデオ流出」やそれを巡る国民の反応と1969年に起きたペンタゴンペ-パ-事件とを比べると、その質の差に驚く。

意図的にビデオを流失させた海上保安官が「自分には罪の意識はない。映像は、国民が知るべき性格のものだ」と立派な事を言うなら,匿名で神戸の漫画喫茶から投稿したり、捜査が神戸にまで延びたと知り塞ぎ込んだ理由が解らない。

大秀才で高度の国家機密に接触できる地位にあったエルスバーグ博士が、数千ページの国家機密を幾つかの新聞社に渡したペンタゴンペ-パ-事件は、ニクソン政権を退陣に追い込むウォーターゲート事件に繋がった。エルスバーグ博士の場合は、ニクソン政権の行為に明確な違法性を認め、己を犠牲にして内部告発した反権力行為であったが、反国家と反権力の区別もつかない自分勝手な海上保安官が起こしたビデオ流失事件の質の悪さは弁護の余地もない。それでも海上保安官の行為を礼賛する国民がいるとすれば、この行為を称賛すると言うより、お粗末な政府の対応に対する批判と受け止めるべきであろう。

尖閣事件の顛末を、国際テロに関する警視庁公安部の内部資料文書の大々的流出と併せ考えると、規律を失い、情報の活用能力に欠け、情報を知ることの責任と義務が欠如した官僚統治に空恐ろしさを感じる。「国益」を忘れ、組織防衛と責任回避に終始した鈴木海上保安庁長官の答弁はその典型で、聞くに堪えない愚答であった。

ビデオを非公開にするという政府の判断は正しかったか?外交問題に発展する事が予想された事件の判断を地検に任せて良いのか?といった日常の問題についてさえ、判断規準を持たない今日の政治や統治形態を、どのように変えるかは国民に残された課題であろう。

国際秘密情報の外部流失が続出し、政府の決定を現場が覆す事が頻発すれば、他国は日本を相手にしなくなる。この問題でも、ペンタゴンペーパーを巡って最高裁まで争ったニューヨークタイムズの主張に比べると、国民の知る権利と事件の責任を巡る日本のメデイアの主張の次元の低さは嘆かわしい。

そもそも「秘密」とは何なのか?と言う基本的問題でも、国民的合意はおろか、統治に当る指導者の中でも合意形成が出来て居ない。この場合、国益を守る為の秘密が問題なのであって、法律上の秘密などは些細な事である。

中国の各都市で頻発する暴徒に近い反日デモは、日本が70年代に卒業した激しい反米デモを思い起こさせる。この際、中国の国内事情による反日デモに気を取られるより、日本の「頬かむり文化」の是非を考える方が生産的である。

透明化が進めば、日本国民は正しい判断をする能力を備えている。この事件を契機に、国民が日本の統治構造の脆弱さや重要な価値基準の不在に気付き、安全保障や国家統治のあり方を真剣に考え、重大な方針は専門家ではなく国民が決める習慣が出来れば、半世紀前にマッカーサー元帥に12歳と言われた日本国民が元服する日も近い。

日本を一気に大人にするきっかけを与えて呉れた中国漁船船長の愚行に、心から感謝したい。