「交渉術」から尖閣諸島・北方領土を考える - 根津修二

2010年11月26日 13:42

あるロシア人がこう言っていた。「北方領土問題は存在しない。あそこはロシアの固有領土である」日本も尖閣諸島に対して同様の主張をしており、この手の話は”お互い様”と言うべきだろう。

北方領土は第二次世界大戦以降60年以上にわたって、尖閣諸島の問題は40年にわたって係争中の難件中の難件であり、具体的な解決策を提示することは私の手に余る。よって本稿では「交渉術」の観点からこの問題を考える視座のみを提供したい。


そもそも交渉においては、お互いにおいて「妥協」をすることが前提である。一方的なパワーバランスの差でもない限り、片方の主張が100%通ることはありえない。双方の国が「領土問題では1ミリも譲らない」と主張しているようでは、我々の生きている間にこの問題は解決しないだろう。もちろん戦争でも起こせば事態は大きく変わるが、たとえ戦争によって係争地域の完全な領有権を回復したとしても、双方が被る人的・物的な損失を考えれば全く割に合わないばかげた解決策である。

妥協をする際に重要な視点は「何を重要視するか」である。別の言い方をすれば、どこで譲り何を得るかである。この際に忘れてはならないことは「権利」ではなく「利益」に基づいて考えることだ。そうすることによってお互いにとって望ましい解決策に至ることがある。例えば、ロシアにとっては「お金」が重要であり、日本にとっては「名誉」が重要であるとしよう。この際には「日本がお金を払って北方領土を回復する」という方法によって、双方が利益が得ることができる。

「権利」に基づく主張には、解決策が見出せなくなるほかにもうひとつ欠点がある。それは双方の主張が感情的にエスカレートしやすいことだ。まさに我々が尖閣諸島問題でまざまざと見せつけられたとおりである。日本は「正当な権利」に基づいて中国人の船長を逮捕した。これに対して中国は「正当な権利」に基づいて船長の釈放を要求した。双方の国民が一気にヒートアップし、合理的な思考が否定されやすい環境に至る。感情的な判断が積み重なれば、お互いにとって最悪の結末を迎える可能性すら否定できない。

領土問題においても日本は「何を譲り、何を得るのか」という外交戦略が必要である。繰り返しになるが、日本にとって一方的に有利な解決策は相手国がのまず、何の進展ももたらさない。たとえば北方領土においては、領土に付随する経済水域(漁業権)を優先するのか、それとも元居住民の私有地の回復を優先させるのか、はたまた行政権の執行を優先させるのか。尖閣諸島においては同じく行政権の確立を優先するのか、それとも海底資源が最優先なのか。そのような認識に基づいて、共同管理や一部割譲などの、双方が利益を得るであろう具体的な方法論を追求する必要がある。

最後にひとつエピソードを紹介しよう。十年以上前に読んだ塩野七生氏の本からの引用である。なにぶん昔のことであり、本のタイトルも忘れてしまった。今私はロンドン在住で原文の参照もできないので不正確なところはお許し願いたい。

「1228年、ローマ法王からの度重なる要請にも関わらず、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世はアイユーブ朝スルタンのアル・カーミルと一戦も交えることなく休戦協定を結んだ。エルサレムの統治権はフリードリヒ2世がもち、岩のドームはイスラム側が管理する。もちろんキリスト教徒、イスラム教徒双方の安全が保障され、キリスト教徒は数百年ぶりに安全に聖地を巡礼することが可能になった。しかし、一連の行動によってフリードリヒ2世は教皇から背教者として非難され、破門された。

フリードリヒ2世には一人の僧侶が同行しており、彼も同様に破門されたが後悔はなかった。『リチャード獅子心王が武力で成し遂げられなかったことを、彼は一滴の血も流さずに成し遂げた。これこそイエスの御心にかなうやり方である』と」

休戦協定は1240年に失効し、1244年にエルサレムは再び陥落しイスラム教徒の手に戻った。彼が成し遂げた「交渉」による10年余りの束の間の平和を、後世の我々はいかに評価すべきであろうか。
根津修二 ロンドンビジネススクール(MBA履修中)twitter:@snezu)

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