あくまで政治主導を追求すべき - 根津修二

2010年12月10日 14:04

先日 「政治主導をあきらめる」 というやや扇情的な記事をアゴラで拝読した。簡単にまとめると「愚かな大衆に選ばれた愚かな政治家には世の中を変えられないから、官僚システムを改善することによって現状を打破しよう」という主張である。


私は、このような“衆愚”を論拠として民主制度を否定するような主張はナンセンスであり、代替案の官僚主導システムも恐らく機能しないと考える。現状の民主主義システムを不断に改善し、あるべき政治主導を追及することが道義的にもまた経済厚生的にもベストの選択肢であることを主張したい。

1.人類の愚かさは民主主義を否定しない

言うまでもなく人類とは愚かな存在である。これは、12歳のセヴァン=スズキがリオデジャネイロで行ったスピーチに端的に表現されている。「もし今戦争に使われている全てのお金が、貧しい人々のため、環境のために使われたら、どんなにこの世界が良くなることでしょう。」このように余りにも自明のことですら我々は実現できていない。

となると「高度な教育を受けた人材であれば多少は”まし”だろう。そのような人間が社会を主導するシステムを作るべきではないか」という主張がでてくる。件の記事では官僚がその候補となっている。

確かに、良い教育を受けることによって、より適切な判断ができるようになる蓋然性は高い。仮にそのような人間に“衆愚“の影響力から隔離された権力を集中させれば、意思決定がスムーズに行われ、より効率的な国家運営が為されるかもしれない。シンガポールや中国のように。

しかし、ひとたび民主的なチェック過程を経ない権力者が自己の利益の極大化を図った場合や、腐敗が甚だしくなった場合にどう対処すればいいのだろうか。人間は誘惑に弱い存在である。恐らくその場合自浄作用は期待できず修復するのに大変な困難を伴う。実際に中国やシンガポールでは政府を批判することは許されていない。極端な例では北朝鮮やミャンマーをみればよい。一度特権的な権力構造が固定されると、事後的に矯正することはほぼ絶望的である。

なるほど人間は愚かな存在である。ナチスの例をみればわかるように、教育程度の低い愚かな大衆が権力を握っていては国の方向を過つかもしれず、危険かもしれない。だからといって教育程度の高い人間に民主的チェックを経ない権力を持たせることはそれ以上に危険である。従って、我々はこの欠陥だらけの民主主義(=政治主導)を守り、かつそれを如何に改善するかに全力をあげるべきなのである。

2.“国益を追求する官僚システム”は実現できるか

「国民の利益と官僚の利益を一致させるように官僚機構のインセンティブ構造を設計し直す必要がある」という主張には大いに賛同するが、“国民の利益”という概念から望ましい政策指標が自動的に導出されるわけではない。

例えば官僚の報酬をGDPに連動させるという方法は、インセンティブシステムとしては恐らく機能しないだろう。なぜなら彼らがその目標指数をコントロールできないからである。個々の官僚がやれることは限定的で、そもそもGDPを押し上げる政策は自明ではない。

読者諸氏には「業績連動」と称して会社の利益に基づいて給与の一部を変動させられる経験を持つ人も多いだろう。しかし、例えば大企業の社員がその結果経営者意識をもち会社全体の方向性を考えるように行動しただろうか?恐らくそうではないだろう。それは、規模が大きくなればなるほど、会社全体の利益など個々の社員達ではどうしようもないからであり、結局行動には何の影響も与えない。

もちろん、時限的にせよ国の政策の根幹を決定できる巨大な権力を与えれば話は別である。その場合、一番確実にGDPをあげる方法はバブルを興すことである。昨今の欧米金融機関が短期的な利益(彼らのボーナスに連動)を追求し非合理的なリスクをとったことを考えれば、かなりの確率で結末は予測可能だ。仮に労働市場の流動性が高く、政府高官がGDPに連動して巨額のボーナスがもらえるのであれば、財政支出を拡大し、金融緩和をし、円をどんどん刷って円安に誘導するだろう。そしてバブルがはじけたり、外交関係が悪化して耐えられなくなったらサヨナラするというのが最も合理的な行動である。

結局は政治判断のもとに個々の行政組織にふさわしい具体的な指標(例:厚生労働省のこの部局は“待機児童の減少数で評価する”など)を提示するという方法が、地味ではあっても現実的な解であり、それにはやはり質の高い政治主導が必要なのである。

3.望ましい政治主導を実現するために

かといって私も読者諸氏と同じように、日本政治の機能不全を嘆く者の一人であり、現状維持をよしとしない。「政治家の質をあげること」「利益誘導政治を打破すること」は望ましい政治主導を実現するために必要条件である。政治家の質をあげるためには何よりも参入障壁をさげ、特定の層からしか政治家になれない現状を改めることである。その為に恐らく最も有効なのは金権政治から脱却することだろう。日本では国会議員として立候補しようとすれば、1000万円以上の自己資金が必要といわれており、有力政治家ともなれば億単位のお金を一年で使う。どんなに優秀で志があったとしても容易に挑戦できる世界ではない。

例えば当地イギリスでは選挙期間に個人の候補者が使えるお金は300万円程度に制限されている。ここには政策と何の関係もない街宣カーも無ければポスターも無い。戸別訪問が主な選挙活動であるが、それで買収が横行したという話も聞かない。寄付しても使い道がないから、個人候補者と特定団体との癒着もおこらない。もちろんこれには個人の候補者の存在が薄まるというデメリットもある(紙幅の関係上、政治体制の比較論は別途機会を設けたい)。

結論として、“衆愚”だからと政治主導すなわち民主政治に背をむけるのではありうべき解決策ではない。たとえどんなにボロボロであろうとも、決して諦めず、民主的に選ばれた人間こそが国をリードするという理想を守り抜くべきである。と同時に現状に安住することなく、不断に改善方法を提案をし続ける、そういう国民が一人でも増えてくれることを願う。
(根津修二 ロンドンビジネススクール(MBA履修中)Twitter:@snezu ブログ

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