女王陛下のハリウッドスター...?

矢澤 豊

The King’s Speech

11月末にアメリカでリリースされたばかりのイギリス映画(本国イギリスでは来年1月より劇場公開予定)。ところが、すでにオスカー候補の呼び声高いのだとか。もっともイギリスに先駆けてアメリカで今年中に公開を果たすことにより、来年3月のアカデミー賞レースに参戦の名乗りを上げたというところでしょうか。


ストーリーは史実に基づいたもの。

主人公は現在の英国女王、エリザベス2世のお父さん、ジョージ6世。英国王室の次男坊として生まれ、本来ならばごくごく目立たない人生をおくるはずだったジョージ君。(ニックネームはバーティー。)ところがお兄さんのエドワード(エドワード8世)がシンプソン夫人に、クラクラッ...ときてしまい、

「王様や~めた!」

してしまったので、突然の代打当番で王位を継承するはめになります。

しかし、もともと控えめな性格だったジョージ君には、大きな秘密があったのです。それは彼が幼少のころからの吃音症(ドモリ)だったということ。

ステキな衣装を身にまとい、馬車の中から手を振っていれば良かっただけの時代と違い、ジョージ君の時代はラジオやニュース映画の出現により、現代にまで通じる王室のメディア露出が始まった時代でもあります。しかも風雲急を告げる世界情勢の中、ジョージ君が君臨する大英帝国は、群集心理を掴む天才、プロパギャンダの魔術師、ヒットラー率いるナチスドイツとの戦争へ突入していきます。

ドモリのジョージ君。最愛の妻にして唯一無二の理解者、エリザベス(後のクィーンマザー)の助力を得て、その障害を克服し、ドイツ空軍の空爆に耐える英国国民を奮い立たせることが出来るのか。がんばれジョージ!

...という映画だと思います。

(私もまだ観ていませんので、上記は全てあてずっぽうです。間違っていても、責任負えませんのであしからず。)

最近、上手い具合にカドがとれてきて、役者として脂がのってきたコリン・ファースに、すでにアカデミー主演男優賞の声が高いようです。

しかし、根が横着者に出来ている私は、この映画の話を聞いたとたん、

「この映画...チャールズ皇太子の王位継承への布石じゃないの?」

と勘ぐってしまいました。

故ダイアナ妃の事故死(1997年)の後、英国王室の「支持率」はどん底にありました。それが転換期を迎えたのは、このThe King’s Speechにも登場するジョージ君の奥さん(演じるのは久しぶりに素顔に近い形で出演のヘレナ・ボナム—カーター)、エリザベス2世女王の母親、クィーン・マザーの死でした(2002年3月)。

ドモリのご主人を陰で支えただけでなく、戦時中ドイツ空軍の爆撃によりバッキンガム宮殿にも被害が出た時、

「おかげで私たちも、他の被災者たちに対し、すこしは引け目を感じずにすむようになった 。」

と言ってのけた女王陛下のご母堂様の死に際して、英国国民は、王室が国民とともに苦難を分かち合った時代があったことを思い出したかのようでした。

(あの毒舌で知られるBBCの名物キャスター、ジェレミー・パックスマンでさえ、クィーン・マザーの死と、その際の国民感情の興隆に接して「英国が王室を捨て、共和制をとることには賛同できない。」とまで言ってしまいした。)

その後、2006年には、主役のエリザベス2世女王を演じたヘレン・ミレンがアカデミー主演女優賞を獲得した「クィーン」が公開。エリザベスさん本人は、間違っても自ら口にできない、ダイアナ妃の事故死に前後した女王様の精神風景と王室の内部事情を代弁した作品が世に出ました。

そして今、国民が距離感を感じ、衆知の問題を抱えた王様の映画が公開される(ジョージ君のドモリと、チャールズ君の不貞/結婚の失敗を同列に論じてよいものか、疑問はありますが)。

なんとなく...の感じがしませんか?

この発想の延長線上に私が思い出したのは、1894年に出版された小説を下敷きに、1937年に公開された「ゼンダ城の虜」という映画です。

「ゼンダ城の虜 」の舞台は19世紀ヨーロッパ。主人公のルドルフ・ラッセンディルは余暇を持て余すイギリス紳士。たまたま釣り目的の旅行で訪れた中央ヨーロッパの架空の王国ルリタニアで、戴冠式を目前に控えた次期国王、ルドルフ皇太子と自分がそっくりであることを発見します。ところが以前から王位を狙っていたルドルフ皇太子の異母兄マイケルが、戴冠式を前に皇太子を誘拐。なんとか戴冠式をとりおこなうため、皇太子の側近ザプト大佐と親友フリッツ・フォン・ターレンハイム大尉は、そっくりさんのラッセンディルを皇太子に仕立て上げ、なんとか戴冠式をのりきりますが、かつては皇太子ルドルフと仲の悪かった許嫁、フラヴィア姫が、ラッセンディル演じるところのルドルフにぞっこんになってしまうという、思わぬオマケつきの事態に...。しかしイギリス紳士の鑑、ラッセンディルはすでに「触れなば落ちん」という風情のお姫様の腕をふりほどき、マイケルとその手下ルパート・ヘンツォウにより、ゼンダ城の城内に捕囚となった国王ルドルフを救出すべくザプト大佐とフリッツを従えて死地に赴くのであった...。

何回も舞台化や映画化された名作冒険物語ですが、この1937年版の場合、ちょうどエドワードが個人的理由(シンプソン夫人)で王位を棒にふったばかり(1936年12月)でしたので、勇敢なイギリス紳士(ラッセンディル)が、個人的感情(フラヴィア姫)を犠牲にして、正義の為に戦うというストーリーが、「反エドワード8世/親ジョージ6世」と受け止められたようです。特に、映画のラストシーンでフリッツがラッセンディルに言うセリフ、

「歴史は 必ずしも正しい人間を国王に選ばない。」

というくだりは、示唆に富んでいます。

こうした映画のストーリーと、その「ウラ解釈」以上に面白いのは、この映画の作成に携わった人たちです。

主人公のラッセンディルとルドルフ皇太子を演じたのはロナルド・コールマン。

フリッツ・フォン・ターレンハイムを演じたのはデイヴィッド・ニーヴン。

ザプト大佐はC・オーブリー・スミス。

映画製作にあたったのは、後にイギリス人女優、ヴィヴィアン・リーをスカーレット・オハラ役に抜擢することになる、ユダヤ系プロデューサー、セルズニック。

セルズニックは別として、メインの俳優3人は、当時「ハリウッド・ラージ(Hollywood Raj:Rajとはインドにおける英国人支配層を指した言葉)」と呼ばれた、初期のハリウッドで活躍していたイギリス人でした。サイレント映画がトーキーにとって代わられると、舞台俳優として訓練された、もしくは当時としては「標準英語」とされていた英国アクセントでしゃべれるイギリス人俳優が重宝されていたのです。

そして彼らは多かれ少なかれ、イギリス情報部のエージェントとして、インテリジェンス・コミュニティー(あまりスパイという言葉を使いたくないので)との繋がりをもっていたようです。

ここら辺の話を以前まとめておいたものがこちらにありますので、興味のある方はご参考までに。

まさかコリン・ファースがイギリ情報局のエージェントだとは思いませんが(?)、今回のThe King’s Speechの製作の裏側には案外面白い意図が存在していたとしても不思議はないような気がします。

オマケ
デイヴィッド・ニーヴンはサンドハースト(イギリスの陸軍士官学校)出身。現役時代はとんでもないグウタラ将校だったようですが(自伝The Moon’s a Balloonによると)、1939年にイギリスがドイツに対して宣戦布告すると、真っ先に帰国し、1945年まで6年間従軍しました。晩年のニーヴンは戦前のハリウッドの思い出話をよくしたものの、戦時中の話をめったにしなかったそうです。その理由を問われて、ニーヴンはこう答えたとか。

「じゃぁ、一つだけ戦争の話をしよう。私の最初で最後の戦争話だ。

戦後、アメリカ人の友人に頼まれて、バストーニュ(バルジ作戦の激戦地)にあるという彼らの息子のお墓を訪れた。言われた通りの場所に彼らの息子さんのお墓はあった。でもそのお墓は27000あまりものお墓の中に立っていた。その墓石の中に立ち、私はこう思った。『ニーヴン、これはお前が戦後、うかつに戦争中の自慢話などするなという27000の戒めだ』と。」

オマケ2
冒険小説で有名なアリステア・マクリーン作の「女王陛下のユリシーズ号」。

原題は「H.M.S. Ulysses」なのですが、これ第二次世界大戦中のお話ですから、略号「H.M.S.」は、女王陛下を指す、「Her Majesty’s Ship」ではなくて、ジョージ6世を指す、「His Majesty’s Ship」のはずなんですが...ハヤカワ文庫さん、なんで修正しないんだろう。