大学入試と経済成長

2011年03月03日 09:04

カンニング事件をめぐって、論争が起きているが、すべての論者の議論は問題外だ。

単なるカンニング事件であり、カンニングは不正であり、それは処罰すべきであり、これまでカンニングを見逃していたとすれば、それは失策であり、今後は、監視を強化する。それだけのことである。

この単なるカンニング事件に対して、そもそも入試が悪いとか、なかなかこの受験生はやるだとか、間違った議論をされるのは困る。だから日本は駄目なのだ。

そもそも、この受験者の行動を合理的と捉えてはいけない。彼はかなり不合理な行動をとっており、この種の事件が続出したのならともかく、この一件だけならば、個別案件、特殊事情であり、議論するに値しない。同時に、彼は、チャレンジャーとしても失敗しており、失敗する以上、ビジネスチャレンジとしては失敗で、優秀なチャレンジャーではない。ゴルゴ13みたいだが、結果を出したチャレンジだけが成功なのだ。

さて、それならここで議論する必要もないはずだが、これだけおかしな議論が出ている以上、まとまった反論をしてみたい。

入試は経済成長にとって重要なのだ。


入試なんてどうでもいいという議論は間違っている。

入学を甘くして、卒業を厳しくすることには意味がない。もちろん1000人入れて、10人だけ卒業させればいいのなら、逆に超エリート教育ができるかもしれないが、普通の帝王学は、少数に候補を絞って、多様な経験をつませつつ、多次元で競争させるのが、後継者養成の一つの方法だ。

その考えに立てば、少なくともエリート養成を目指す大学としては、良質な学生を絞り込んだ上で、家族的なつながりを持ちつつ切磋琢磨するということだろう。

だから、質のいい学生を確保することは至上命題だ。

私の学校はKBSという慶應義塾大学大学院のビジネススクールだが、ここでは、すべての授業がディスカッションで行われるために、一人でもレベルの低い学生、意欲のない学生がいると、議論のレベルが低下する。

次に、何を入試に出すか、ということは極めて重要だ。それを目掛けて学生達が自己投資をするからである。

受験勉強とは自己投資に他ならない。その自己投資が意味があるかないか、ということがポイントだ。

問題の京都大学や東京大学の入試問題は、相対的に言うと素晴らしく、考える、いい学生がほしいと言う気持ちがにじみ出ている。私立は学部によりばらつきがあり、慶應、早稲田でも、学部ごとに教員のレベルや意欲の違いがにじみ出ている。

池田信夫氏も指摘していることだが、数学を入試から外すのはいいことではないが、数学を入れると受験者が激減し、受験料という重要な収入源を失うので、大学側としては怖い。また学生の質から言っても、かなり多くの学生を採る学部にとっては、受験者が減ることは、ボトムのレベルが急低下し、ばらつきが大きくなり、教育の質の大幅な低下となるから、数学に目をつぶっても多くの受験者を確保したいという気持ちはある。

慶應の経済は、なかなか気概のある学部で、入試は数学と小論文が入っており、入学後も、大学レベルの数学が必修で、素晴らしいと思う。早稲田も文科系でも数学で受験が出来、そこは一応の保険になっている。

むしろ問題は、入り口が多様化しており、いわゆる受験を経験していない学生が増えているが、彼らはばらつきが大きく、一概に言えないが、基礎力があまりに足りない学生が多く、やはり入試、受験を経ている学生のほうが企業もゼミの教員もほしがることが多い。

現時点では、各大学が、入試問題を工夫し(年に一回でなく、数回実施することは意味がある)、さらに考える学生を集めたいという意思を明確にし、高校生にさらなる研鑽を要求するシステムにしていくしかない。

小手先の塾、予備校でなく、思考力や論理力を養う予備校が流行るような入試にしていくことが現時点では、セカンドベストの対策であり、それもしなければ、将来の労働力の質が低下し、ますます経済成長は遠のくだろう。

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑