カンニングをほめていいのか? ‐ 森 邦彦

アゴラ編集部

今年の入試におけるカンニングに関する議論が今も錯綜している。あたかもサッカーの試合でハンドした選手にペナルティを課すべき局面で、手の使用の是非や審判の権限を議論しているような状況である。本来分けて議論されるべき様々な議題がゴチャゴチャになって飛び交っている。


すべての議論は追いきれないながらも、気になるのは、カンニング行為を非難する代わりに、摘発できなかった大学側の落ち度を問うたり、あまつさえ行為者を賞賛する発言である。マラソンで抜け道を通って優勝した選手を賞賛し、違反を摘発できなかった主催者側を阿呆呼ばわりするようなものである。なかでも茂木健一郎氏やちきりん氏のような影響力のある識者たちがtwitter上で今回の行為を容認しているかのようにとれる発言をしている。茂木氏に至ってはtwitter上で「日本のwikileaks」とまで持ち上げている。

本稿では「入試におけるカンニング行為を容認/賞賛していいのか」の一点についてのみ議論を絞り、以下4点については議論の対象外とする。すなわち、

(1) 入試制度の問題点・あり方。
(2) カンニングに対する監視・罰のあり方。違法性、被疑者逮捕や個人情報が晒されたことの是非。
(3) 大学の自治について。警察の介入行為の是非。
(4) 今回のカンニング行為の画期性。

以上はここでは議論しない。

改めて述べるまでもなく、入試は定員枠を争う競争であり、通常、試験時間中に解答のために他者の助けを借りることはルール違反である。たとえ、そのために画期的な通信手段を開発したとしても違反は違反である。今回のカンニング行為を容認しているとしか思えない発言の類は、カンニングが不正競争行為であることに目を瞑り、加えて当事者である他の受験生の被る不利益に対する配慮が欠落している。

受験生の心理的重圧を鑑みれば、カンニングの誘惑が兆したとしても不思議ではないが、考えるのと実行するのとでは天と地との開きがある。カンニング行為は成果(合格)に及ぼす効果が不確かであり、さらに被害が見えにくいため、行為者は罪悪感を感じにくく、さらには傍観者の容認姿勢を招きやすい。

発覚したカンニング実行者は受験から追放されるだけだが、問題は発覚しないカンニングによる見えない被害者である。カンニング行為の結果合格した人数を知り得ない以上、カンニング実行者数および捕捉率等について定量的なことは語れないが、毎年受験の毎に発覚しないカンニング行為の結果として、定員枠から弾き出される不合格者が発生していることは単なる空想とは考えられない。たとえ、本人の被害認識がなくても、これは明らかにカンニング行為による被害者であり、多くの場合、精神的・金銭的打撃を受けていることが想到される。

今回のカンニングを容認しているとしか思えないような発言の類は、受験生のカンニング行為に対する心理的ハードルの低下をさらに助長し、結果としてカンニングによる見えない被害の拡大につながりかねない。

「カンニングなんて犯罪でもないし、たくさんの人がやってることじゃん」

論文データの捏造は犯罪ではない。だからこそ研究者には例え人目がなくともインチキをしないモラルが求められ、相応の敬意が払われる。同様に不正競争行為であるカンニングも犯罪ではない。だからこそ受験生も相応のモラルを持つべきで、社会はそれを期待し注視すべきである。

結局、受験生を取り巻く我々自身の姿勢が問われているのである。
(森 邦彦 NTT主任研究員 )

コメント

  1. DydoCorzine より:

    カンニングは不正でありやってはいけない事は誰でも分る事でしょう。

    ただし、最近の日本人は急速に『ばれなければ構わない』の思考が強まっているように思えます。端的に言えば仏教からの影響である『性善説』が通用しなくなっていると感じています。

    失業保険をもらいながらアルバイトをしたり、亡くなっている筈の名義人物の手当を不当に受け取っていたり、セーフティネットの不十分さも陰にあるが、ともかくこの傾向が顕在化していると感じます。

    ましてや、国家や企業、学校など、組織に対してのクラックッキング行為は『愉快犯』的に許容されるような空気もあります。

    カンニングはだれでもやっているーーこれは日本人らしい付和雷同癖でしかなく情けない限りです。

    私が深刻に感じたのは日本人の性善説崩壊と学習性のなさで、これは学校側の問題です。

    ■韓国全土に衝撃。携帯電話カンニング事件を追う
    http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0412/13/news033.html

    この隣国の、かなり大型の事件に関し全く日本は他人事と捉えていたのでしょうか、ここの怠慢は私に取っては試験管の怠慢以上に深刻な問題と見ています。

  2. a4ka より:

    激しく同意します。入試でのカンニングは悪いことなんです。

    カンニングをする者がいる場合でもいない場合でも合格者数は一定でしょう。
    したがって、1人のカンニングが成功すると、本来の合格者が1人不合格となります。
    つまり、入試でのカンニングは正当な合格者からの入学資格の窃盗です。
    学内の定期試験でのカンニングとはわけが違うのです。

    「精神的、金銭的打撃」は1000万円程度にはなると思います。
    打たれ弱い人だったら、1000万円どころではない回復不能な悪影響をその後の人生に及ぼされてしまいます。
    そんなれっきとした「1000万円級に他人を傷つける大窃盗」が悪ノリとかヤンチャのレベルで語られてることに本当に憤ります。
    結局、カンニングする本人もお気軽な擁護者も、この不可視的、無自覚的被害者への想像力が欠如しているのでしょう。

    さまざまな別次元の論点が一緒くたに語られるきわめて非生産的な空騒ぎ状況への筆者様のご批判、論点の限定も極めて適切だと思います。

  3. 某国立大学医学部で進級に関係するドイツ語試験でカンニングが横行していた。今話題のネットを駆使した最新の方法とは隔世の感があるが,持ち込みが許された辞書に訳を書き込んでおく古典的な手口だった。正確な数は不明だが,少なからぬ医学生が手を染めていた。それは医学とは無関係の単なる語学試験の一つかもしれないが,問題はその精神性である。万引きという言葉があるが,本当にその語学試験だけだったのだろうか。大切な医学の試験でカンニングしないという保証はない。医療では全力で治療にあたっても不幸な結果となることがある。その時,医師は自分の判断が間違っていなかったかを深刻に悩むのだが,医師の精神が壊れないで済むのは,自分は正当な資格を持っているという信念である。資格の正当性に傷のある“偽医者”に耐えられるような苦悩の重さではない。お天道様は見ているのである。
    それにしても,唯一救いがあるのは,その語学試験を落として留年した医学生も10数名いたということである。

  4. juuichijigen より:

    論文データの捏造のほうがよほこ悪質である。
    彼ら研究者の研究費には国民の税金による科学研究費が用いられているからである。

    カンニング事件と同時期に、
    名古屋市立大学+熊本大学での論文捏造疑惑
    三重大学+名古屋大学での論文捏造疑惑
    獨協医科大学での論文捏造疑惑
    九州大学での論文捏造疑惑
    と次々に不祥事が起こっているが、
    果たしてどちらが悪質なのだろうか。

    これらの研究不正行為を罰する法律がないことを憂う。

  5. poolafp より:

    「容認する発言」ではなく「容認しているかのようにとれる発言」「容認しているとしか思えない発言」「容認しているとしか思えないような発言」

    誰も言ってないことに無理やり反論するときって、よくこういう表現になりますね。

    結局、筆者がそう勘違いしただけ。結論はすでに出ていて「カンニング行為は容認できない」で終わり。