支出を税収に合わせて政府の大きさを国民が選択できるようにすること - 平井進

2011年03月10日 22:15

昨年7月26日に「国民が政府の大きさを選択できるように、国債発行をやめてみては」、同年11月8日に「国債の償還について、国民は『同意なくして支払なし』では」という拙稿を発表し、2011年度の公債発行特例法案を否決することを提案した。その提案の趣旨は、第一に、国債の発行を行わないことにより、その税収の範囲内で支出を行うこと、第二に、そのような支出削減がない限りは消費税の増税を行わないことであった。


それは、政府のあり方を国民が決めることができる(選択肢をもつ)ことが民主主義の根幹であり、安全保障や財政規模をどうするかということはその中心に位置すること、税収と同程度の借金を行う現行の政府の財政構造(それによる政府債務は昨年四月では862兆円、一世帯あたり3.24年分の所得に相当する)は、結局のところ支出のレベルまで税収を増加することなしには解決できないが、そのように大きな課税負担の構造は今まで国民の同意なく決めてこられたこと、国民の同意なき課税負担は民主主義の基本的な問題であり-このことは、イギリス植民地時代のアメリカ人が「代表(権)なきところに課税なし」(No taxation without representation)といって独立戦争を起こしたことに端的に見られる-、政府財政の規律とは国民主権の基本的な問題であるということがその提案の基本であった。

今日、公債発行特例法案が国会で否決されることは現実化しているが、それは上記のような民主主義や国民主権とは無関係な政局状況となっている。去る2月24日に自民党は2011年度予算案の組み替え動議原案を決めた。それは、内閣の予算案が、租税等収入40.8兆円に対して公債金収入44.3兆円を含む税外収入により92.4兆円の歳出を見込むのに対して、自民党案は租税等収入40.8兆円に対して公債金収入42.5兆円を含む税外収入により89.3兆円の歳出とするというものである。これは、子ども手当等の民主党の目玉的な予算を公共事業等の自民党の目玉的な予算に振り替えているだけであって、財政規模も国債発行額もほとんど変わっていない。これでは、自民党が公債発行特例法案に反対するだけの大義は見られないというものである。

このところ、政府が国債を発行できない「財源なき予算執行」の問題が急浮上している。現実には家計の場合と同様に「支出を収入に合わせる」という基本に立ち返るしかないのであるが、政府の場合は予算によって法的にその支出を固定化するために、そのことが問題の解決を困難にしている。それではどうするか。財政法は次のように規定している。

第二十九条  内閣は、次に掲げる場合に限り、予算作成の手続に準じ、補正予算を作成し、これを国会に提出することができる。
一  (略)
二  予算作成後に生じた事由に基づいて、予算に追加以外の変更を加える場合

従来の補正予算は追加予算を行うことに慣例化していたが、緊急的に行うべき補正予算の本来の役割は、今回のように予算案において予定していた公債発行特例法案による収入がそうならないような場合にこそあると見るべきであろう。これは「減額補正」といわれる。

現在報じられている内閣予算案によると、公債発行がない場合の収入は51.7兆円である。支出のうち、国債償還費が21.5兆円を占めるので、そのままであればそれ以外の支出は30.2兆円になる。これをそのまま実行するというのが第一案である。それに対してこの激変を1年間だけ緩和するものとして、上記の国債費のうち利払費(約10兆円)のみを新年度の公債発行特例法案によりまかなうという第二案も考えられる。おそらく、現実的にはこの第一案と第二案の間であって、2010年度の国債費以外の支出が約72兆円であったのに対して、新年度の支出が約30兆円(第二案であれば1年間は約40兆円)となる。いずれ日本の財政はIMFの管理下に入って財政再建を行うことになるであろうが、その場合少なくともこの程度の措置は実行しなければならないのであり、上記案はそれを自発的に先行して始めることにあたる。先ず政府の支出レベルをそこまで戻した上で、どうしても国民に必要な支出が不足するということになってはじめて、その財源としての消費税等の増税という話が出てくる。

上記のシナリオは政府の財政支出レベルに対して中立的である。すなわち、もし国民の大半が現在の政府の支出レベルを維持したい(大きな政府)とするのであれば、将来世代に負荷をかけないようにその支出に見合った増税を行えばよいのであり、そのような選択が選挙の公約によって明確に国民に与えられればよいのである。

公債発行特例法案が可決されなければ、予算の執行は年度半ばにして停止することになるので、最近では新年度早々の補正予算案の話が出てきている。現在、公債発行特例法案に反対している野党も、現実に予算執行の問題が顕在化し、マスメディアがその責任を問うようになれば、現在のように覚悟がないままであればいずれ賛成に回ることになるであろう。

財政規模の問題は政府のあり方そのものであり、その改革は政府の問題そのものの改革となる。具体的には、上記の減額補正への取り組みがそのための絶好の機会となる。次の衆議院選挙は、今のままであれば国民にとって必要な政策に関する真の対立軸もないまま迎えることになりそうであるが、政府財政の執行が危機を迎えようとしているこのときに、財政という政府のあり方そのもの、すなわち政府の財政支出レベルについて税収入と支出のバランスをとるのか否か、とるとすれば如何にするのかということは国民にとって基本的な問題であり、それを政策的な基本的争点として国民の意見を問うことが次の国会選挙の意義であり、時宜を得ている。

政治がそのような政策を争点とするだけの覚悟をもたなければ、国民の側からそのような政策の選択肢をもてるように、すなわちその争点が実際に選挙の票になるようにアジェンダ設定をしていく必要が出てくる。現在の政治の状況にしらけている多くの国民にとって(現世代と次世代のために)関心のあることは、既存の政党の支持基盤などよりも強いものである。国民による政治のあり方への関与について地殻変動が起きるとすれば、このようなことが契機になるのではないか。

(平井進 東北大学大学院)

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑