被災地を訪れて考えたこと

2011年04月03日 14:25

このたびの地震でたくさんの方が被害に遭われた。そんな折、宮城県で復興のお手伝いをしようと思い立った。2007年7月の中越沖地震以来だ。知人の技術者に声をかけ、実際に車を走らせると、現地は案外近かった。ガソリンと水を届け、ボランティアセンターのコーディネーションで、民家の修繕を行った。今回の震災では、センターが機能していたのが救いだった。もちろん、助けに行った者が二次災害などに遭っては元も子もないので、雨漏りの修理をしたり、ドア枠の建付けを見たりといった地味な作業が中心だった。津波の被害に愕然としたが、現地の方々は気丈に、秩序を保って生活されていた。もちろん火事場泥棒のような不届き者もいないことはないが、全体的に相互扶助によって地域が支えられていた。


3月11日に起こった地震と津波とそれにともなう原発の事故について、専門家でない私が言えることは少ない。ただ、ひとつだけ言いたいことは、この被害に見舞われた方々の姿がひじょうに美しかったことだ。災害救助のためのボランティアや募金も、素早く集まった。被災者の情報をネットに載せる仕組みも迅速にできた。マスコミの報道よりも、ツイッターやウェブサイトに表れた、節度を保ちつつ混乱した状況に対応しようとする姿には、純粋に感動した。日本にソーシャル・キャピタルが息づいていた証拠だろう。自分の利益だけでなく、他者の利益も考えなければ社会が成り立たない。困ったときはお互いさまだ。私たちは助け合わなくてはならない。

日本はこれまで社会的な連帯が弱いと言われつづけてきた。教会やモスクのようなコミュニティの磁場がない。NPOのような市民社会の自発的な組織化が乏しい。しかしながら、被災地の方々は、信頼と相互扶助がなくては社会が成り立たないということを当然のように認識し、また実際に助け合いを続けていた。そして、首都圏でも、マスコミの報道よりも、ツイッターのようなソーシャル・メディアが助け合いの基礎を提供していたし、電車のない帰路を助け合って歩んだ。

今回の震災をきっかけに、日本なりの「自立した個人」のヒントが見つかり、私たちは社会への信頼を取り戻せるのかもしれない。そう思わずにはいられなかった。祈るような気持ちである。

赤沢 良太(一級建築士)

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