過誤のジレンマ-花岡伸也

2011年04月25日 22:23

統計学には「仮説検定(統計的仮説検定)」と呼ばれる手法がある.例えば「ある電池の新製品の寿命は300時間より長い」という仮説を検定する.全ての新製品(母集団)に対して販売前に確認するのは無理なことから(そんなことをしたらいつまで経っても販売できない),いくつかのサンプル(標本)を用いて仮説の真偽を検定する.このとき,帰無仮説(寿命は300時間である)と対立仮説(寿命は300時間より長い)を設定する.そして,「帰無仮説を棄却(否定)できなければ対立仮説は採択されない.帰無仮説を棄却できれば対立仮説は採択される」という,少し遠回りともいえる方法で検定する.多くの場合,帰無仮説が偽であることを立証して棄却し,対立仮説が正しいことを主張する.


プレゼンテーション1仮説検定には2種類の過誤が起きることが知られている.第一種の過誤は帰無仮説が真であるのに棄却してしまう過誤であり,第二種の過誤は対立仮説が真(帰無仮説が偽)であるのに帰無仮説を採択してしまう過誤である.

福島原発からの放射能汚染問題では,2つの過誤が同時に起きている可能性がある.棄却したい帰無仮説を「放射能汚染による影響はない」としよう.この場合,第一種の過誤は「放射能汚染による影響はないのに,あると判断してしまう」となり,第二種の過誤は「放射能汚染による影響はあるのに,ないと判断してしまう」となる.実は,第一種の過誤を避ける手段を強化すると,第二種の過誤を引き起こす可能性が大きくなる.逆もそうである.「過誤のジレンマ」と言える状況が起きてしまうのである.

第一種の過誤としては,農作物などの風評被害がある.この過誤は残念ながらいま確実に起きている.菅総理が厚生大臣の時に起こったO157事件(カイワレ大根生産者が大きな風評被害を受けた)が思い出される.一方,第二種の過誤として,(原子力の専門家ではないのであくまで事例として挙げると)海中に放出された低濃度放射能汚染水の生物や人体に対する影響,などが考えられる(政府はいまのところ影響はないと言っているようだ).過去,問題があるのに事態が悪化するまで規制をせず,被害が悪化した事例として水俣病のような例があり,これは「不確実性下の意思決定における第二種の過誤」と言える(藤垣(2003)からの引用).

放射能汚染問題で第二種の過誤は起こしてはならない.何としても避けなくてはならない.しかし,放射能汚染による長期的な人体等への影響については,「良心的な」科学者の知見を持ってしても,真偽をいま立証することは非常に困難であろう.不確実性が高いのである.いま,政府は第二種の過誤を絶対に起こさないという予防の観点から,福島原発周辺の避難区域,計画的避難区域,緊急時避難準備区域を定めていると思われる.不確実性が高いので,万が一という意味で,放射能汚染による影響は長期的に相当低いと考えられても避難区域等に含めていると想像する.これに応じてコメの作付けの制限区域も定められたが,制限区域外の農家が風評被害を受けるかもしれない.これが過誤のジレンマである.慎重側に判断して避難区域を拡げれば拡げる程,風評被害を受ける農家の範囲が大きくなる可能性があるのだ.過誤のジレンマを完全に避けることは構造的に難しい.風評被害をできる限り減らす手段を考えなくてはならない.その一つは政府による正確で迅速な情報提供であり,もう一つは消費者の誠実な判断である.

東京工業大学大学院 准教授 花岡伸也

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