情報隠匿の病理

2011年05月02日 10:00

日経ビジネスが先週「東電の罪と罰」という特集を組んでくれたのでよく分かったことだが、東電の歴史をみると、情報の隠匿が次第に日常化していった歴史であるという事がよく分かる。最初の内部資料の改竄はアメリカから指摘を受けて発覚、歴代の実力会長にまで累が及ぶ大事件になったわけだが、次の発覚に際しては殆どお咎めがなく、その間、多くの内部告発も殆どが握りつぶされている。


これは「東電の政治工作が効を奏した」と言うより、初めから国の安全委員会とか保安院とかが東電と一体となって一つの方向性を決め、「民は知らしむべからず、依らしむべし」という方針に徹してきたと言うべきだろう。一旦そう決めれば、もはや真実などはどうでもよくなるのだから、そのうちに感覚が麻痺してくるのは当然だ。

「民は知らしむべからず」などという考えは、そもそも現在の日本では絶対に認められてはない事だが、今回は、これが「原発事故」という国民の安全を根底から揺るがす「犯罪レベルの大事件」に関連して表沙汰になったわけだ。しかし、そのベースとなった「情報の隠匿」は、実はどんな組織でも多かれ少なかれ日常茶飯事で行われている事だから、我々の誰もが今回の事を契機に大いに自戒しなければならないことだ。

私は、この「情報隠匿」の病理を二つの要因から理解している。一つは「保身」或いは「組織防衛」であり、一つは「公衆の感情的な反発に対する警戒」である。

前者を理解する事は比較的簡単だ。何故なら、これは個人ベースでも日常的に行われている事だからだ。

例えば、あなたの上司が普通にやったら絶対に出来ないような無理なことを要求したとしようか。誰でもが、先ずは、何故出来ないかを説明して理解を得ようとすることを考えるだろう。しかし、これは困難だ。あなたの上司は「そんな問題は自分で考えて解決しろ」と言うに違いないからだ。そこで、あなたには結局二つの選択肢しか残らないことになる。一つは断固として「出来ません」と言うこと。そして、もう一つは、自分で考えて一つの割り切りをつけ、「やって見ます」と答える事だ。

何事も、リスクさえ踏めば、やってやれない事はない。例えば、先ずは有り得ないだろうと思われるような事態を前提としたテストを端折ることだ。そすると、あら不思議、あなたの上司の要求した「とても無理なスケジュール」は、たちまちにして可能となる。あなたの上司は、同時に「絶対に問題がおこらぬようにしろ」と要求している筈だが、一旦腹を決めたからには、あなたは「絶対に大丈夫です」と言うしか選択肢はない。

リスクが実現する可能性を予見する事は難しい。ざっくり言って一割以上もリスクがあると思われる場合は、おそらく誰もそんなリスクは取らないだろう。だが、厄介なことに、多くの場合、リスクが実現する可能性は一割以下という場合が多い。

そういう時には誰もが悪魔の囁きを耳にするだろう。先ずそんな事態は起こらないのだから、割切ってしまえば,あなたはしばらくの間ハラハラしているだけで済む。しばらくすると、あなたの上司は、「見ろ、やれば出来るじゃあないか。お前、よくやった」と言ってあなたを褒めてくれ、全ては「めでたし、めでたし」で終わる。

もし想定外のことが起こり、最悪の事態になったらどうするか?
あなたのビジネスキャリアはそこで確実に終わる。しかし、今「出来ません」と言ったら、あなたはどうせ無能の烙印を押されて組織の中ではすぐに死ぬのだから、結局は殆ど同じことだ。

こうして、「実はリスクがある」という情報は永久に秘匿される。残念ながら、家族を養う為に仕事をしている人の毎日は、どんな男気のある人といえども、概ねは「保身」の毎日なのだから、上司たるものは、常にこの事を考えておかねならない。

そして、企業もまた然りだ。毎日、多くの決定が、「どうすれば会社の業績を上げられるか、業績に影響を与えるような問題を起こさないか」という観点からなされている。この為には、法に触れない限りは、多くの情報が秘匿されるのはごく当然の成り行きだ。しかし、企業の場合は、株主に対する取締役の善管義務や、企業の社会的責任があるので、この問題はそう簡単ではない。

後者の問題はもっと複雑だ。

公益的な色彩の強い事業に限らず、純粋な営利事業であっても、多くの事業は、最終的にはユーザー、つまり「公衆」の理解と支持を得る事によって成り立つ。しかし、「公衆」は常に必ずしも理性的とはいえず、まして謂わんや忍耐強い訳ではない。だから、彼等に対して、一言でも内幕に類する事を不用意に告知したら、とても理性的とは言えぬものも含めて、彼等から出てくる色々な反応に対応するのは大変な仕事になる。だから、どんな企業でも情報の告知には自ずと慎重にならざるを得ないのだ。

特に、タイミングの問題は難しい。告知があまりに遅くなると、「何故今に至るまで、あなた方にはわかっていた事を我々には知らせなかったのか」という突き上げ上を当然受ける事になろう。しかし、十分な内部検討をする暇もなく、精度の低い情報が広まってしまうと、不要な混乱を招く事も事実だ。従って、このタイミングこそが、各企業が「誠意」と「慎重さ」の狭間で、その企業理念を賭けて、必死に見極めなければならない事なのだ。

とどのつまり、私が言いたいことは何か?

先ず、第一には、それが「原発」のように国民の安全に直接つながるような重大な問題である場合は、この様な人間の基本的な行動原理がもたらす「情報の秘匿」を防ぐ為に、組織と制度、特に「情報の隠匿に対する厳重な罰則」をあらかじめ整備しておくべきということだ。

次に、一般の企業や組織体に言いたいことは、「情報の隠匿は、いつかは大きな災厄をもたらす可能性がある事を十分意識し、自らを守るためにも、常日頃からこれを防ぐ手立てを真剣に講じておくべき」ということだ。株主は勿論,顧客や一般の公衆に対しても、多少の面倒はあっても常に真実を出来るだけありのまま且つタイムリーに告知して、種々の疑問や批判に対しても出来るだけ丁寧に対応していくにしくはないと思う。

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