情報隠匿の病理

松本 徹三

日経ビジネスが先週「東電の罪と罰」という特集を組んでくれたのでよく分かったことだが、東電の歴史をみると、情報の隠匿が次第に日常化していった歴史であるという事がよく分かる。最初の内部資料の改竄はアメリカから指摘を受けて発覚、歴代の実力会長にまで累が及ぶ大事件になったわけだが、次の発覚に際しては殆どお咎めがなく、その間、多くの内部告発も殆どが握りつぶされている。


これは「東電の政治工作が効を奏した」と言うより、初めから国の安全委員会とか保安院とかが東電と一体となって一つの方向性を決め、「民は知らしむべからず、依らしむべし」という方針に徹してきたと言うべきだろう。一旦そう決めれば、もはや真実などはどうでもよくなるのだから、そのうちに感覚が麻痺してくるのは当然だ。

「民は知らしむべからず」などという考えは、そもそも現在の日本では絶対に認められてはない事だが、今回は、これが「原発事故」という国民の安全を根底から揺るがす「犯罪レベルの大事件」に関連して表沙汰になったわけだ。しかし、そのベースとなった「情報の隠匿」は、実はどんな組織でも多かれ少なかれ日常茶飯事で行われている事だから、我々の誰もが今回の事を契機に大いに自戒しなければならないことだ。

私は、この「情報隠匿」の病理を二つの要因から理解している。一つは「保身」或いは「組織防衛」であり、一つは「公衆の感情的な反発に対する警戒」である。

前者を理解する事は比較的簡単だ。何故なら、これは個人ベースでも日常的に行われている事だからだ。

例えば、あなたの上司が普通にやったら絶対に出来ないような無理なことを要求したとしようか。誰でもが、先ずは、何故出来ないかを説明して理解を得ようとすることを考えるだろう。しかし、これは困難だ。あなたの上司は「そんな問題は自分で考えて解決しろ」と言うに違いないからだ。そこで、あなたには結局二つの選択肢しか残らないことになる。一つは断固として「出来ません」と言うこと。そして、もう一つは、自分で考えて一つの割り切りをつけ、「やって見ます」と答える事だ。

何事も、リスクさえ踏めば、やってやれない事はない。例えば、先ずは有り得ないだろうと思われるような事態を前提としたテストを端折ることだ。そすると、あら不思議、あなたの上司の要求した「とても無理なスケジュール」は、たちまちにして可能となる。あなたの上司は、同時に「絶対に問題がおこらぬようにしろ」と要求している筈だが、一旦腹を決めたからには、あなたは「絶対に大丈夫です」と言うしか選択肢はない。

リスクが実現する可能性を予見する事は難しい。ざっくり言って一割以上もリスクがあると思われる場合は、おそらく誰もそんなリスクは取らないだろう。だが、厄介なことに、多くの場合、リスクが実現する可能性は一割以下という場合が多い。

そういう時には誰もが悪魔の囁きを耳にするだろう。先ずそんな事態は起こらないのだから、割切ってしまえば,あなたはしばらくの間ハラハラしているだけで済む。しばらくすると、あなたの上司は、「見ろ、やれば出来るじゃあないか。お前、よくやった」と言ってあなたを褒めてくれ、全ては「めでたし、めでたし」で終わる。

もし想定外のことが起こり、最悪の事態になったらどうするか?
あなたのビジネスキャリアはそこで確実に終わる。しかし、今「出来ません」と言ったら、あなたはどうせ無能の烙印を押されて組織の中ではすぐに死ぬのだから、結局は殆ど同じことだ。

こうして、「実はリスクがある」という情報は永久に秘匿される。残念ながら、家族を養う為に仕事をしている人の毎日は、どんな男気のある人といえども、概ねは「保身」の毎日なのだから、上司たるものは、常にこの事を考えておかねならない。

そして、企業もまた然りだ。毎日、多くの決定が、「どうすれば会社の業績を上げられるか、業績に影響を与えるような問題を起こさないか」という観点からなされている。この為には、法に触れない限りは、多くの情報が秘匿されるのはごく当然の成り行きだ。しかし、企業の場合は、株主に対する取締役の善管義務や、企業の社会的責任があるので、この問題はそう簡単ではない。

後者の問題はもっと複雑だ。

公益的な色彩の強い事業に限らず、純粋な営利事業であっても、多くの事業は、最終的にはユーザー、つまり「公衆」の理解と支持を得る事によって成り立つ。しかし、「公衆」は常に必ずしも理性的とはいえず、まして謂わんや忍耐強い訳ではない。だから、彼等に対して、一言でも内幕に類する事を不用意に告知したら、とても理性的とは言えぬものも含めて、彼等から出てくる色々な反応に対応するのは大変な仕事になる。だから、どんな企業でも情報の告知には自ずと慎重にならざるを得ないのだ。

特に、タイミングの問題は難しい。告知があまりに遅くなると、「何故今に至るまで、あなた方にはわかっていた事を我々には知らせなかったのか」という突き上げ上を当然受ける事になろう。しかし、十分な内部検討をする暇もなく、精度の低い情報が広まってしまうと、不要な混乱を招く事も事実だ。従って、このタイミングこそが、各企業が「誠意」と「慎重さ」の狭間で、その企業理念を賭けて、必死に見極めなければならない事なのだ。

とどのつまり、私が言いたいことは何か?

先ず、第一には、それが「原発」のように国民の安全に直接つながるような重大な問題である場合は、この様な人間の基本的な行動原理がもたらす「情報の秘匿」を防ぐ為に、組織と制度、特に「情報の隠匿に対する厳重な罰則」をあらかじめ整備しておくべきということだ。

次に、一般の企業や組織体に言いたいことは、「情報の隠匿は、いつかは大きな災厄をもたらす可能性がある事を十分意識し、自らを守るためにも、常日頃からこれを防ぐ手立てを真剣に講じておくべき」ということだ。株主は勿論,顧客や一般の公衆に対しても、多少の面倒はあっても常に真実を出来るだけありのまま且つタイムリーに告知して、種々の疑問や批判に対しても出来るだけ丁寧に対応していくにしくはないと思う。

コメント

  1. ibukuro333 より:

    実は私たちは詳しい情報公開など望んでいません。なぜなら、私たちは提供された情報を理解できるだけの知識や判断力を持っていないからです。私たちが欲しいのは「今回の事態が危険なのか、そうでないのか」という判断だけです。なぜなら先述の通り、情報を理解できるだけの知識も判断力も持っていないからです。
    もし、東電がきちんと情報を公開していたら、今回の事態は良くなっていたでしょうか?私にはそうは思えません。
    私は情報公開要求は東電バッシングの材料に使われただけのような気がします。

  2. i8051 より:

    上司と部下の喩え話において、部下にとって「上司を説得する」という選択肢が現実的でない組織を前提とされるのであれば、そのような体質を放置したまま罰則を強化しても実効性があるんでしょうか。決定権を持っていない部下が問題発覚時には責任を問われることを自明視されているような印象を受けましたが、問題の本質はこの点(権限と責任の乖離)にこそあるような気がしますが。

  3. 松本徹三 より:

    もし東電から正確な情報がタイムリーに出ていたら、日本政府の然るべき機関や、報道関係者や、一般大衆の啓蒙に熱心な学者などが、「一般市民はこの事態どう解釈してどう行動すべきか」の指針を発表できたと思います。IAEAや米国政府なども、もっと的確なアドバイスを内外の一般大衆にも分かり易い形で出せたと思います。

    東電はあの時点では自分達にしか分からなかった情報をとにかく包み隠さず出して、多くの人達の判断を仰ぐべきだったともいます。

  4. ibukuro333 より:

    東電が正確な情報をタイムリーに出していたとして、適切な指針を発表できた日本政府のしかるべき機関とはどの機関のことでしょうか?また、信頼できる指針を発表できる報道関係者や、学者はどれだけいたでしょうか?現実には情報が公開された後でも徒に不安を煽るマスコミや学者などがいませんでしたか?
    大半の人々が原発事故ということで思考停止に陥り、パニックになっている状況では、いくら正確な情報がタイムリーに出たところで、不安を煽るマスコミや学者がいれば人々はそれにのせられてしまうものでしょう。
    確かに情報公開自体はいいことだと思いますが、パニック下の群集心理を前にしては残念ながら人間の理性は無力であることを歴史は証明していませんか。

  5. yasutomi_ayumu より:

    「情報の隠匿に対する厳重な罰則」で、情報の秘匿が減るのかどうか、私は疑問に思います。

    制度で云々できることではなく、(1)上司と部下との信頼関係の形成を可能とするマネジメントと、(2)外部からの理不尽な反応には毅然と応えられる経営者の倫理性、によってしか維持できないのではないでしょうか。

    問題は隠蔽ではなく、卑怯です。東電は隠蔽体質があったので事態に対処できなかったのではなく、卑怯だったので、都合の悪い情報は常に隠蔽したし、今回の緊急事態にも対処できなかった、と感じます。

    週刊現代の報道によれば、福島第一原発の所長が、そのなかでも卑怯者でなかったことが、我々にとって大きな救いであったように思いました。

  6. sudoku_smith より:

    日本のマネジメントでよく言われる事の一つに「報告・連絡・相談」と言うのがあります。これだけ聞くと良い事のように聞こえますが、では誰が判断するんでしょうね。松本さんの今回のご指摘は「報連相」ができていない、と言う事ではないかと思いますが、東電の放射性物質ベントに関しても、法律で「政府に相談」になってるそうです。政府の誰が判断するのでしょう。後になって「俺は聞いていない」と言う人を防ぐため過剰な報告会が何度も繰り返され判断が遅れていく。日本の会社でよく見ませんか?東電だけが特殊ではないと思います。報告の無限ループこそが最大の無駄であり危機です。
     今回の件は「誰がいつまでに判断するか」が曖昧なまま危機を迎えてしまった時の典型的日本企業の欠点が見えただけでしょう。
     ご意見の中に「できるだけ多くの人に報告して」ともありますが、それでは小田原評定だと思いますよ。結局誰が決めるのかを最初に決めなきゃいけない。「船頭多くて船山に上る」。今の民主党や震災対策本部もそんな感じのようですが。

  7. minourat より:

    > 「情報の隠匿」は、実はどんな組織でも多かれ少なかれ日常茶飯事で行われている

    松本さんは、 人間の組織というものを良く理解しておられる。

    Anticorruption New Zealand と題する http://anticorruption.co.nz/ の記事が参考になります。

    まず、 おもしろいのは、

    Transparency International claims that New Zealand is the least corrupt in the world.
    Those of us who live here and have seen the changes must wonder just how corrupt the rest of the world is because things are not exactly Corruption free here.

    そして、結論は、

    We should be able to question corruption without placing our lives,  families and assets at risk.

    日本で、 内部告発した人物がわかれば、 その人は裏切者として扱われるし、 また他の組織に移るのも容易ではありません。

    そして、 少数の反対意見を述べる人達は徹底的にたたかれます。  これは、 アゴラの記事とコメントを読んでいてもよく分かることです。

    私は、 基本的人権思想と人間の限界を説く宗教的基盤とが大切だとおもっていたのですが、 シンガポールのクリーン度が高いのは指導者の倫理性と厳罰ですかね?

  8. 松本徹三 より:

    たくさんの貴重なコメントを頂き深謝します。若干の追加をさせてください。

    私は、今回、「原発関連のような国民の生命に直接影響を与えるようなケース」と「普通の企業などでも日常茶飯で起こっていること」の二つの切り口から「情報隠匿」の問題を論じましたが、「罰則」の提案は前者に対するものです。

    後者については、私が考える正しい姿は、「とにかく自分で腹を決めて、『こうすれば出来るので、自分としてはこうしたい』と上司に言い、但し、『こういうリスクが残るから、その事を良く理解しておいてください(問題が起こればあなたも共犯ですよ)』と釘を刺す」という事です。

    勿論、自分の哲学や倫理観からどうしても受け入れられないことであれば、「こうすれば出来ないではないが、私はこの様なリスクをとることには反対。やるべきではない」とあくまで主張するべきです。

    それ以上に、私としては、上司に対して、「部下を追い詰めるのは危険。極力部下に本音を喋らせろ」とアドバイスしたいと思います。「内部告発はあるべきだし、避けられないから、内部告発されて困る事はやらない」という考えも持つべきす。

  9. rityabou3 より:

    > あなたの上司が普通にやったら絶対に出来ないような無理なことを要求したとしようか。
    <<<中略>>>
    > テストを端折ることだ。

    この部分を読んである事を思い出した。東電が下請けに原発の設備の点検を依頼する時にとんでもない短い期間でやれと強制するので、下請けが「こんなに短い期間じゃ安全が確保できません」と佐藤栄佐久福島県前知事に内部告発をあげていたようです。

    そしてそういう状態の結果だと思いますが、原発の設備点検では手抜きなどがされまくっていたようです。

    『無理が通れば道理が引っ込む』昔の人はいいことを言います。