国家という世俗的な宗教 - 『近代 想像された社会の系譜』

2011年05月08日 10:17

近代 想像された社会の系譜近代 想像された社会の系譜
著者:チャールズ・テイラー
販売元:岩波書店
★★★★☆


このごろ本屋に「サンデル・コーナー」ができ、サンデル先生は震災にまでコメントしているが、率直にいって彼はオリジナルな思想家とはいえないし、日本で出ている本のほとんどは凡庸な説教だ。それよりも彼の師匠の書いた本書を読んだほうがいい。これは大著『自我の源泉』の続編で、次の大著、“A Secular Age”の導入ともいえる。

そのポイントは、近代社会がキリスト教の世俗化によって生まれたということである。マルクスから現代の経済学に至る「唯物論」的な社会観では、人間を欲望をもつ合理的個人と考え、その経済的利害にもとづいて「上部構造」たる文化や法制度ができると考えるが、著者はこれを逆転して、西洋的な社会の根底にあるのは社会的想像(social imaginary)だとする。

これはアンダーソンの『想像の共同体』に似た概念だが、起源はもっと古い。世界の宗教や習俗の多くは、特定のコミュニティに依存した呪術で成り立っているが、キリスト教や仏教のような「高次の宗教」は、人々を地域から脱埋め込み化(disembedding)し、世俗的な欲望を超えた精神的価値をよりどころにする。このように俗世間を拒否する態度によって、ローカルな部族を超えた統一的な価値が共有されるようになったのだ。

15世紀以降、欧州では都市化によって異なる言語や文化の人々が交わり、内戦や紛争が日常化した。こういう「大きな社会」で平和を実現するために重要なのは、一方では武力による統治だが、他方ではそれを支える共通の価値観である。それが可能になったのは、西洋文化圏でキリスト教が広く共有されていたからだ。それを世俗化したのが、西洋的な道徳である。

近代国家は、このような世俗的道徳の制度化だが、その構造はキリスト教と同じである。人民主権というのはフィクションにすぎず、国家を支えているのは投票による民主主義ではない。個人や地域を超えた法秩序に対して人々が従属する正統性が、近代国家を支えているのだ。ビンラディンを暗殺したことを宣言するオバマ大統領に対する賞賛は、ある種の宗教的な情熱である。

他方、日本の政治がいつまでたっても混乱しているのは、このような世俗的な宗教が(よくも悪くも)弱いことに求められよう。日本は長い平和の中で地域共同体が融合し均質化したため、脱埋め込み化をあまり経験しないで近代化した。このため個人が抽象的な価値を共有する必要がなく、政府も企業も「空気」で統治されてきた。首相の中部電力に対する法的正統性のない「要請」は、その最たるものだ。

こうした部族的道徳による統治には限界が見えているが、多くの人がそれを自覚していない。法の支配を無視した首相の要請を賞賛する「知識人」が多いのは困ったものだ。それに代わるシステムを構築するためには、西洋で500年以上にわたって続いたキリスト教の世俗化が必要なのだとすれば、われわれの直面している困難は想像以上に大きいのかもしれない。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 SBI大学院大学客員教授 学術博士(慶應義塾大学)

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