東京電力の事後処理案は事後ではない

2011年05月09日 07:12

これは以前も議論したとおり、必罰であるのは、将来のためである。法令に則って物事を処理する、信賞必罰とするのは、それが組織、社会に将来の安定性をもたらすからである。
安定性をもたらすルートはいくつかあるが、重要なのは、第一に、事前のルールどおり処理、信賞必罰することによって、プレイヤーが今後もルールに従って行動することである。これにより、プレイヤーの参加も保証されるし、プレイヤーの周りもルールに従った行動を予見してその行動からの影響に備えることになるからである。第二に、第一の点をさらに発展させた論点だが、dynamic consistencyの問題、あるいはrenegotiation freeの問題は現実には必ず生じるが、それを回避するためにcommitmentを得ることが可能になるからである。


第二の論点は、アカデミックなフレームワークだが、それをやや濫用している(厳密なアカデミックな議論と異なるがあえてここで使っている)ので(論点は単純なのだが)、少し解説したい。Renegotiation freeとは、例えば二者が契約を結んで何か事業を行っていたとき、その結果が出た後に、必ずその結果をめぐって利益(損失)の配分を変更しようというインセンティブが生じるということである。つまり再交渉のリスクである。再交渉が可能になってしまうと、東京電力の場合は、世論からも政府の様々な権限からも(規制業種であるから)再交渉において極めて不利な立場に陥る。具体的には、すべての賠償責任は東京電力にあり、政府は責任も負担は出来る限り東京電力に負わせようとすることになる。だから原発の事故が起こってしまうと、電力会社は圧倒的に不利な立場に陥るのである。

したがって、この事態、再交渉の可能性を予見していれば、東京電力はこんなことをしなかっただろう。つまり、こんなこととは、原発の運営である。このようなリスクは民間事業者に負えるリスクではないから、原発を建設などしなかっただろう。

では、東京電力は頭が悪かったのだろうか。そうではない。東京電力株を純粋な投資目的で保有している海外のファンドは、もちろんこのリスクを認知していた。東京電力も同じであろう。では、あえて事業に踏み込んだ、あるいは投資した理由は何か。それは原発無事故神話を信じていたわけではなく(事故は実際に柏崎刈羽を始め何度も起きている)、いわゆる原子力損害賠償法第三条の但し書きを根拠に、大地震のときは免責されると思っていたからである。もちろん、これには政府が事業計画を許可し、検査にも入り、毎年事業計画書も提出しているから、当然政府もすべて認可したものであり、基本的な設計ミスと事故が起きてから言われることはないと考えるのは極めて妥当であった(事前に議論があっても停止、廃炉の決定をしていなければその責任は政府にある)。

しかし、この予見は間違っていた。日本政府はルールを守らない可能性が高いことを知らなかったのである。あるいは今の首相が首相になると思っていなかったという説明もありうるかもしれない。
いずれにせよ、予見は間違っていた。ルールは守られない。そうなると、コミットメントは今後は成立しない。つまり、多大なリスクのある原発など誰もやらなくなるからだ。今後は原発事業に参入する事業者はリスクを適正に判断しない、短期指向の事業者以外は存在しないだろう。既に事業を継続している事業者は、できる限り早く撤退しようとするだろうが、慣性が働き直ちにはやめられないだろう。

しかし、投資家は撤退するのは簡単だ。証券投資であれば、できる限り速やかに売却するだろう(値崩れを最小限にしつつ)。株式も債券もそうだ。銀行の相対融資は難しいが、国難を踏まえて人道的に融資した2兆円を一生後悔し、今後は一切融資をしない方向に舵を切るだろう。投資家からの訴訟も起きるだろう。

つまり、ルールを守らないと、再交渉が起こるという前提で行動をするようになるから、通常の電気事業は営まれないようになってしまうのである。火力発電にも様々なリスクがあるから、送発分離(送電と発電の分離)をしても、誰も本格的に発電には参入しないだろう。

したがって、賠償責任を誰にどの程度負わせるかは今後の電力供給において極めて重要なのである。

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