被災者に同情せず、自立的復興を促せ - 米崎 義明

アゴラ編集部

今回の震災で、多くの方はもうご存知だろうが、「義援金」は、日本赤十字社にすべて集められ被災者に分配する。これに対して「支援金」は、この大震災において活動しているボランティア団体・NPO、あるいはそうした団体が必要だと考える人びとに支給される。

全ての人に平等に配分する義捐金は、被害が小規模な災害であれば平等性をしっかり評価した上で、配布することが出来る。災害の被害が小規模な「復旧」であれば、政府が責任を持って義援金を配分し、対処することが出来る。

しかし、今回は被害が甚大な「復興」である。実は、阪神淡路大震災の時は、「復興」という言葉は使わなかった。「復興」と「復旧」とは違う。あまりにも甚大な被害が出た場合には、義捐金という制度は今のままでは機能しない。では今回の場合のような被害が甚大な「復興」、つまり「経済復興」の際は、どのように対処するべきであろうか。


国際協力に置き換えてみると、「復興」においてまずすべきことは、貨幣経済に迅速に復帰してもらうことである。貨幣が流通しなければ、何も始まらない。日本の戦後復興もそうであった。コミュニティや個人の発意で闇市が形成され、貨幣経済が動き始めたことからわかる。

貨幣経済が動き出すためにはcash for workが有効である。公務員を一時的でもいいから雇う、瓦礫撤去に対し日当を払うなど、現地の人に、貨幣を持たせなければならない。貨幣を持てば、自分の意志で外に行って、何かを購入するという行動が生まれる。

義援金は法律に縛られているため、cash for workに対処することはできない。cash forworkができるのは、NGOだけである。もしかしたら、義捐金の一部を支援金に回す仕組みがあれば、行政(市や区)やNGOに予算を丸投げして、cashfor workにお金を回すべきだったかもしれない。

正直にいうと、海外ではもっと過酷な状況がある。災害+戦争とかダブルパンチで受けることはあるし、そんな過酷な状況でも、国際社会は「自分の足で立て」と言う。復興においては、「連帯」してはいけないのである。被災者への同情は絶対にしてはならず、ある程度の距離をとらなければならない。可哀そうと思って皆ボランティアに行ってしまい、結果的に被災者根性が身に着けさせてしまうと、愚の骨頂である。おばあちゃんが困っていたら、隣町の若者が助けてあげればいい。大挙してボランティアにいくのではなく、被災者が自らの足で立ち、「自立的復興」を促すような仕掛け作りを考えなければならない。

(米崎義明  charity japan)

コメント

  1. tetuko_trail より:

    あの「セブン」を体験しました。黒い波も見て、いまだフラッシュバックから立ち直れずにいます。自宅マンションは全壊、でも自立に賛成です。日本の矛盾が一気に具現化した分、被災者は、しっかり考えなければならないと思う。何故、あの津波を見て、生まれた町なんて言葉が出てくるのだろう。幼稚園や小学生じゃあるまいし、海外の友人でもテレビ電話が発達して、ある程度の意思の疎通はできる。それを税金を投入して、堤防を復旧しカセツ住宅を作る?仮設はあくまでもカセツです。仙台でさえ、民間の空きマンションなぞ腐るほどある。何故、全国の人が応援してくれるというのに、未知の第一歩を踏み出せないのだろう。原発が元の生活に戻れないと言う現実を、かえってつきつけてくれた。では、引っ越すか、今までとは違う一歩を踏み出す時ではないのか?トウデンに同情はしないけど、事あれば損害賠償というゼロサムゲームを持ち出すのは、賛成しかねますね。むしろ、犯罪として取り締まった方がよいのでは・・少なくとも、今後おなじ過ちを許さぬように。はっきりいって一番癒されたのは、スーちゃんの自分の死の床に臨しても、まだ「被災者のためになりたい」あの一言でした。義援金だけの同情はどうかと思いますが、ココロのボランティアは大歓迎です。私たちは土地だけではない美しい世界に誇れるココロの故郷を既に持っていて、そちらを大事にした方がよいのでは・・