起業家として生き残るためのリーダーシップとは - @ogawakazuhiro

映画『ソーシャル・ネットワーク』では、ジャスティン・ティンバレイク扮するショーン・パーカーが、年若い創業起業家を軽視し、経験豊かなプロの経営者をCEOに据えようとすることに対する不満をぶちまけていました。会社を興すのは金儲けのためだけではなく、社会を変える試みを自分自身で実行したいからです。
起業家は創業者(ファウンダー)としての地位だけではなく、自身が経営者でありたい。つまり、CEOでいたいのです。

それがこの映画で教条のように繰り返される、「I am CEO, bitch」というキーワードに込められた”起業家の気分”です。

ところが、ショーンが言うように、実際にはある程度成長して企業価値があがると投資家が群がり、”大人の論理”が入り込む。そしてある程度の企業規模になると、起業家は追い出されたり経営の前線から外されてしまうわけです。日本では起業家がそのまま創業社長として経営の舵取りをまかされることが多いのですが、それは逆に日本のVCの多くが銀行的な発想で投資を行っており、IT企業の経営自体への関与をする能力と人材に不足があるからだと言えます。

米国の場合、創業者が企業の成長に合わせて経営者として成長するチャンスを与えられるのは、よほど彼が優秀な場合です。Microsoftのビル・ゲイツ、Dellのマイケル・デル、Oracleのラリー・エリソン、そしてFacebookのマーク・ザッカーバーグ。彼らは非常に特殊な存在だと言えます。

それに対してYahoo、Googleは、創業者を抑えてプロの経営者がCEOとして据えられました。Facebookに並ぶソーシャルメディアの雄であるTwitterは、既になんどもCEOが変わっています。(というより、Twitterへの情熱が薄れて別の興味に移っていったようにもみえます)

このエントリーで僕が伝えたいことは、日米のVCのあり方や投資環境、起業家をとりまく状況の問題ではなく、首題のごとく、リーダーシップのあり方について、です。
Twitterの創業メンバーであるジャック・ドーシー、エヴァン・ウィリアムズ、ビズ・ストーンの三人のインタビューをビデオで(一人は実際にカンファレンスでお会いして)見ていると、彼らが実にナイスガイであることが分かります。優秀であり、人柄も良いことがみてとれるのです。
僕はここに一つの問題点があるのでは、とも感じます。つまり、純粋ないい人だから周囲に人が集まるが、それがゆえに”大人の論理”の前には非常に弱く、政治には敗れてしまう。
対して、例えばFacebookの場合は、創業当初にはショーン・パーカーという年若ながら百戦錬磨の起業家がマーク・ザッカーバーグをリードしていました。そのショーンが失脚してからはマーク自身がCEOとして立つわけですが、幾度かの危機を乗り越えつつ、企業価値700億ドルとも言われ、ユーザー数7億5000万人を抱えるほどの規模にいたってもまだ、CEOの座を守っています。

思うに、この差は、マークがいわゆるいい人、ではなく、ある種のKY?なためなのではないでしょうか。
空気が読めない、というより、周囲のムード(ときとしてそれは強い圧力です。「坊や、大人にまかせておきな」という無言のプレッシャー)に気がつかないか、無視していられる鈍さを持っている、といったほうがいいかもしれません。

あまりに敏感に周囲に気を配ったり、社員に対してもカジュアルな関係を作りすぎているために、肝心なときに”大人の論理”に社内全体が、そして起業家本人が従った方が良い、という雰囲気に流されるのでしょう。
つまり、結局のところ、『ソーシャル・ネットワーク』の中でショーンがマークに言うように「強気でいけ!」ということが、起業家が自分の地位と夢を守る最大の秘訣になるのかもしれません。リーダーには揺るぎない自信と体力が必要ということです。

起業家にとって、自分の会社を作るということは、自力で飛行機を設計して、飛び立ち、操縦し続けるということに近いものがあります。うまく飛び立つと、周囲がその飛行機を欲しがり、操縦席に居座り続ける起業家を排除しようとするわけです。

ライト兄弟は単なる飛行機好きの自転車屋でした。飛行機を作るということに関しては素人であったはずの彼らが、世界初の動力機付飛行機の飛行に成功したのは、彼らが安定した機体を持つ精巧な飛行機を作る技術に欠けていたからです。飛行機が飛ぶための理論は当時でも世界中の誰もが知ることができましたが、それを作る技術自体は専門家の領域だった。つまりライト兄弟は素人だったから、精巧な飛行機を作るのをあきらめて、自分の操縦技術を磨いた。要するに、飛ぶ練習をしたわけです。

彼らは飛行機の専門家たちが嘲笑する中で夢をあきらめませんでしたが、それはそうした軽侮の空気を無視する強さと鈍さを持っていたからです。さらに飛行機の設計の素人だったからこそ、機体の完成ではなく技術の向上に時間を使った。ベンチャーにはこういう子供じみた情熱が必要なんです。”起業家の気分”を維持するには相当頑固さが必要であり、その頑固さを周囲に染み渡らせることも必要になります。マーク・ザッカーバーグにあって、Twitter創業者の三人にないのは、そこなのだと僕は思います。Googleのラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンが経営の実権を掌握したのも、”起業家の気分”を押し通す頑固さを取り戻したためだと考えます。

起業家になるのは簡単ですが、起業家でいつづけるのは驚くほど難しい。ベンチャーを作ったつもりが、いつのまにか”普通の”中小企業になることもよくあることです。ベンチャー企業にはゴールが必要であり、IPOするかM&Aを目指す必要があります。それを目指すことをやめたら、それはベンチャーではなく中小企業です。もちろん中小企業がいけないわけではなく、ベンチャー企業の存在意義の定義を強調しているだけです。ライト兄弟が目指したのは世界初の動力付飛行機の飛行です。彼らが名を残したのは、飛行に成功したからではなく、世界で初めて飛んだからなのです。
会社を作って経営し続けることだけなら、それは空を飛ぶことだけを目指し、それを楽しむことと同じです。世界で初めて飛ぶ、あるいは世界で一番長く飛ぶ、もしくは最も速く飛ぶ、といった目標を立てて、それに挑戦すること、そしてそれによる経済的リターンを得ることを目標にすることがベンチャーです。

起業家は、会社の安定を目指すのではなく、急成長を目指すべきであり、誰よりも早くゴールに駆け込む高速ランナーのように自分を追い込み、同時に周囲からのプレッシャーをはねのけていかなくてはなりません。

そのためのリーダーシップを確立するには、(マキャベリが『君主論』で訴えたように)侮られるよりは怖れられる必要があるし、周囲のムードに合わせるのではなく、合わせない鈍感さと強気を身にまとう必要がある、そう考えます。