民主党代表選挙に関して(私が野田佳彦氏に反対な理由)

矢澤 豊

アゴラ編集部のご要望をうけて、標記のお題で一筆啓上つかまつる。


私が野田氏を支持しない理由は色々あるが、いちばん説得力があるのはこれだと思う。

それは野田氏が、中国の次世代リーダーと目される習近平氏に似ているからだ。

別に深いことをいっているわけではない。見た目のことをいっている。

民主党の代表選挙といっても、候補者の間で政策議論が全くないのみか、各候補者の政策に関して訴えるところが全くみえてこない。

聞こえてくるのは、候補者の小沢一郎氏詣での報道と、数合わせの報道のみ。

これは政治家本人たちの問題であると同時に、日本の政治部記者たちの問題だろう。

「夜討ち朝駆けぶらさがり」の記事ばかりでなく、候補者たちの支持者層の構成から、各候補者の想定される政策基軸、といったことに踏み込んで、記事を書いてほしい。

永田町をかけずり回るだけで、気がついていないのかもしれないが、今日本は震災からの復興という大きな命題を抱えている。また、不可避と思われる世界経済の景気の後退と、長期化する円高傾向、産業の空洞化、雇用の維持/創出という、大きな波を乗り越えなければならない。

国民による総選挙を経ずして、次の総理大臣を選ぶにあたり、直近に日本政府がとり得る政策に関する議論の重要性は明々白々だ。

こうした中で、野田氏が立候補と同時に打ち出したのは、「大連立」だった。

ここアゴラで何度も繰り返したが(「大連立」に抗議する「いいご身分」の人たちの国、ニッポン)、大連立とは、政治家個人の保身を目的とした、姑息な詭弁だ。

「あなたの議員としての地位とメンツを当面は保障するので、政権運営に協力してほしい。」

ということだ。

そこには政策議論はおろか、政治家としての信念も信条もない。

日本の政権中枢に蔓延しているのは、空虚な利己主義ということだ。

これは野田氏に限った話ではない。政策議論を避け、自らの政策方針を明言せず、議員の保身の算段の上に立脚した上で、選ばれようという、姑息な次期総理に多くは望めない。

だから見た目で判断させてもらう。

世界から、おとなりの国の国家主席と見分けがつかないといわれるような総理は、願い下げだ。