欧米を「日本化」させた日本の底力―日本化を嘆く欧米の記事を読んで!

北村 隆司

英国「エコノミスト」誌が、「日本化」が欧米の指導者たちの危機処理の優柔不断さを生んだと比喩すると、ファイナンシャル・タイムズやウォーストリートジャーナルなども、危機処理の遅さを「日本化」として話題に乗せた。


20年前の日本の金融危機への処理の遅れと、その後の政治的な混乱が日本の停滞と日本の影響力の減退に繋がった事は事実としても、サッチャー革命の直前1992年の英国が、現在の日本を上回るGDPの200%もの国債を抱えていながらトリプルAの格付けを維持していた事や、白川日銀総裁が反論したように、2008年の信用危機では、アメリカをはじめ欧州各国が、それまで馬鹿にして来た日本の金融危機対策をそっくり真似た事には触れて居ない。

これ等の記事に対する日本のマスコミの反応は、馬鹿にされたと憤慨するか、欧米の論調の尻馬に乗って日本の政治家を揶揄するものが多かった。私に言わせれば、悲観的に捕らえるのはどうかと思う。

外圧を受けるたびに、欧米の陰謀だと騒ぐ日本のマスコミが、欧米の日本化を「ざまー見ろ、これまでお前達の陰謀で世界基準を押し付けられてきた日本だが、競争相手のお前たちを弱体化させるために仕組んだ日本の陰謀にやっと気が着いたのか!!日本の底力を忘れるな」と書いた方が、エコノミストには珍しい質の悪い記事をからかう為にも良かったのでは?と思う。

一昔前までは危機処理もそこそこ出来た欧米の政治指導者が、現在では問題解決どころか問題の一部になってしまったと言うエコノミストの記事の嘆きも、政治家か官僚を悪者にして片つける日本のマスコミの手法と同じで、欧米のマスコミも日本化したのであろう。

私が睨む「日本化の犯人は」、6月9日に投稿した「やばいぞアメリカ(3)-『日本化』がアメリカを駄目にする」で書いた通りであるが、ここで私の記事の内容を簡単に繰り返しておきたい。
米国を、理念に根付く全体最適優先の横型社会から、個別利益中心の縦型社会に変えてしまったのが、強力なロビースト組織の米国に於ける跋扈である。

強力ロビーストの大罪は、人全体として守り行うべき善悪・正邪の普遍的な道徳律を無視して、個別の利益や既得権を守る為に「不道徳」な行為でもそれを「合法化」する世界を作り上げた事にある。全体を見回し、長期的な「全体適正」を測る横型社会と違い、細かな利己的利益を追求する点では、アメリカのロビーストも日本の官僚機構も同じである。

これが、小異を捨ててて大同に付く「ステーツマン(指導者)」を殺し、既得権を守る政治家の跋扈を生んだのであり、個々の政治家の資質ではなく、システミックな問題である。甘い汁を吸った組織を根絶する事が困難な事は、日本の官僚制を見ても明らかで、ロビーストの払拭は難しい。

世界を悪くした元凶は、残念ながら日本化ではなく、以下にあげる米国の3悪法である。

(1)改正通信法1996法  (1934年以来禁止されて来た、特定資本が多数のメディアを傘下にして影響を及ぼす事を認めた法律で、その後メデイアの統合集中が急速に強まり、数社で全てのメデイアを独占する現在の方向を決定的にした法律)

(2)グラム・リーチ・ブライリー法(GLB法)(1932年の世界恐慌の教訓として成立した、商業銀行による株式や社債の引き受け禁止、投資銀行による預金受け入れ禁止、商業銀行と投資銀行との提携禁止などを規定したグラス・ステイーガル法を廃し、これ等の企業を金融サービスグループとしての統合を許した法律で、巨大化によると金融危機を招いたとされた法律)

(3)政治資金規正法違憲判決 (2010年1月に下されたこの判決は、日本では余り報道されませんでしたが、企業や労働組合を含む組織団体の政治(選挙)広告資金の支出制限は、言論の自由を保障した憲法に違反するとして、政治献金の自由を最大保障し、金権政治を公認した重大な判決)

小さな政府、規制緩和、FTAを支持する私だが、過度の自由化による集中が競争の制限を招き、全体適正の判断より自分の利害を優先する、現在の世界的価値制度を生んだ事は確かだ。

この傾向は、一種の社会的な生活習慣病であり、此処で言う「日本化(縦型社会)」からの脱皮は、既成のエリートに期待する事は無理で、国民の監視と訓練されたソーシャルネットワークに期待するしかない。