量的緩和3

小幡 績

QE3ではない。量的緩和のまとめエントリーのその3である。

量的緩和2で提示したように、日本銀行が2001年から2006年までに行った狭義の意味での量的緩和は、まったく効果がなく、一方、本質的な副作用があった。

それならば、当時評判の芳しくなかった速水総裁が打ち出さざるを得なかった量的緩和を世界的にも絶賛された福井総裁が引き継いだどころか、急激にその量を拡大したのはなぜか。そして、当初はQuantitative Easingという奇怪な英語をつけ、また日本がおかしなことをやり始めた、と揶揄していた欧米が、結果的に、今、それに追随しているのはなぜか。


量的緩和2というエントリーで要約したとおり、2001年の日銀の量的緩和は4つのポイントに要約された。そのうちの1が狭義の量的緩和、金融政策のターゲットを金利からマネーに置き換えたわけだが、これは上述したように副作用(将来における)をもたらしただけだった。となると、意義があったのは2から4のポイントだ。

現在の白川総裁も認めているのは、ポイントの2で、これは時間軸効果と呼ばれている。

つまり、長期にわたってゼロ金利を維持することを約束し、しかも、それを消費者物価が安定的に0%以上となるまで、としたから、デフレ脱却まではゼロ金利と宣言したことになる。

これは大きい。デフレが名目金利がマイナスにならないことなどにより多少の歪をもたらしているとすればそれを解消するまで、できる限りのことはやる、という宣言、決意表明だから、これは効果があった。イールドカーブも寝たし、もし短期、長期金利の低下が経済にプラスであれば、これ以上中央銀行には出来ない、というところまでやりつくしたのである。

誤解されているが、中央銀行は、普通、長期金利はコントロールできない。それは市場が決めることであり、中央銀行の出来ることは、短期金利、端的に言えば、オーバーナイトのコールレートを誘導できる(する)だけである。

したがって、時間軸効果を使って、長期の金利に、ほぼ直接的に、影響を与えたのは画期的なことであったのである。実際、バーナンキFRB議長がまとめるFOMCでは、2011年8月9日に、異例の超低金利政策を「少なくとも2013年半ばまで継続する可能性が高い」という声明文を出した。これは日銀の時間軸効果を真似たもので、米国国債格下げで混乱する市場にプラスの影響を与えた。

つまり、日本銀行は、この点でも画期的であり、世界最先端であり、最も勇敢な(無謀な、という当時は評価だったが)中央銀行だったのである。

なぜ、欧米の中央銀行に出来ずに日本に出来たか。

それは日本には無私の精神があったからである。

欧米は権威主義だ。日本は奉仕の精神だ。中央銀行の権威の源は金融政策である。これで市場が動くから、市場関係者にとっては、中央銀行は神なのであり、ご意向を探るのである。その権力の源を自ら投げ出す、長期のコミットメントは、欧米の中央銀行にとっては自殺行為だ。だから出来なかった。

日本銀行は、単に日本経済にとって何が出来るかを考えた。理論的にはほとんど何もできない。そこで、考えうるあるとあらゆる政策を2001年3月に打ったのである。もうこれ以上何も出来ない。後は、政府や民間企業の行動にかかっています、と。実際、3月の公表文の、最後の2つの項目、とりわけ5の項目は政府に対する指示だ。俺たちはすべてやった。後はそっちだと。玉を投げたのである。

そして、時間軸効果は一定の成果を収めた。しかし、それでも日本経済はデフレから回復しなかった。なぜなら、デフレは貨幣的な要因ではなく、構造要因から来ており、それが解消したのは、世界の新興国がバブルとなった2003年以降のことだからである。

さて、こうなると日本の量的緩和の効果は、量的緩和そのものよりも、それに付随して生まれた時間軸効果により得られたものとなり、やはり量的緩和自体は無意味な政策となる。しかし、現在、米国および欧州では注目をこれまで以上に集めている。

それはなぜか。

残りのポイント3と4にあるのである。