人間と機械の距離を理解していたSteve Jobs - 大道幸人(作家、ジャーナリスト)

2011年10月09日 02:40

日本では、何かとApple社の製品を誉めそやす人々を“Apple信者”と貶めて呼ぶ者がいる。「信者」と呼べば蔑視したつもりの、日本だけで通用するこの呼称。しかし、言われた側はそれをむしろ歓迎し誇らしく受け入れている。

彼の逝去後、功績は数々に挙げられているが、私が一番に感じていて、しかし余り取り上げられていない功績は、MacOS(OSX)とパーソナルコンピューターのアプローチだ。

MacOSの原型はゼロックス研究所にあったものから影響され、製品としては世界初の、操作に言語不要のGUIを使ったMacOS(当時はSystem)だが、ご存じの通りマイクロソフト社がそのデッドコピーとも言えるWindowsOSを登場させ、汎用のPC/AT互換機に導入されて以後、シェアは97%までに達し、時代を経るごとにMacOSは少数派に追いやられた。


Steve jobsがApple社を追放されてからMacOSはさして進化もせず、使いやすいが作業中にクラッシュする(なんと爆弾マークを出し、しのごうとしていた!)マルチタスクに非対応などと、悪い面ばかりが目立って来、徐々に会社と軌を一にするかのように凋落の一途を辿るが、jobsが戻ってから、NeXT社の技術とUNIXをベースに堅牢な新OSである『OSX』に“進化”ではなく“移行”させることに成功した。

現在ではOSXは順調に版を重ね、10.7(Lion)に到達しているが、私が述べたいのは、今年で36年に及ぶパーソナルコンピューターの歴史の中で、OSとパーソナルコンピューターを時代とともに変化および多様化する周辺機器対応も折り込みながら、人間であるユーザーに歩み寄ろうとの弛みなき努力をどこまでも続けたのはApple社だけではなかったか――と言うことだ。

Windowsはどうだったのか。基本的にGUIは1995年のWindows95から変わらない。ベースの技術的にはWindows2000から変わらない。厳しく言えば。劇的にUIが美しく変化したOSXに見劣りしない程度の化粧を、追っかける格好で施したに過ぎない印象がある。ともあれ、同社のアプリケーション類も含め、初心者には直感的に扱うには難しく、ユーザーが操作を覚え、慣れが必要な「パーソナルコンピューターに人間が合わせる」作業が発生する。

ただし、汎用のビジネス用途ではOSも劇的な変化はさせにくいし、またユーザーからも変化は望まれてもいない。従ってこれをもってして「悪い」と語るつもりは毛頭ない。その意味でMacOSは少数派だったが故に、これらの展開が自在に可能だったとも言えるだろう。

―思うに、jobsはパーソナルコンピュータと人間との距離を本当の意味で理解していた数少ない人間だったのだろう―

専門の言語はもちろん、まだ操作方法も知らないユーザーが製品を箱から取り出し、電源を入れるや直感的に扱え、しかもどの作業も楽しい――跳ねるアイコンや、魔法のカーペットの様に拡縮するウィンドウ。美しく全ての作業が創造的でインテレクチュアルに行えそうな選りすぐりのフォント群。

まるで「同じ操作や作業をするならストレスなく直感的に、それ自体が楽しく、創造的、価値的になるように」とのメッセージとともに、背を押されているようにさえ思うのは私だけではないだろう。ここに「人生を価値ある時間とともに過ごして欲しい」と言う彼の透徹した哲学を垣間見てしまうのだ。

また最近ではiPhoneのタッチパッド操作と、そこからフィードバックした技術をiPadやMacにも盛り込み“直感的操作”に大きな進歩が確認できて、今後のさらなる期待を抱かせていた。

企業としての業績、功績は充分に成し遂げ、大往生した――と思われているjobsだが、私はこのOSXに関してはおおいに遣り残した“仕事”だったのではないかと思っている。

最後に、1992年のQuadra700が私とApple製品との出会いだった。以後、同社の製品を選び続けた故に仕事の道も拓け、価値的な数々の得がたい出会いにも恵まれた。今回の訃報に際し、彼の純粋と理想が実際に個人の人生さえにも作用している――この事実を確認し、心は感動に痺れてしまっている事をお伝えし、結びとさせて戴きたい。

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