ジョブスとアップルの将来と

古川 賢太郎

ジョブスの死に接して、多くの人がコメントや投稿を寄せている。その類型としては、ジョブスのイノベーターとしての業績を評価するものとジョブスの来歴の紆余曲折を指摘するものに分かれる。前者はパーソナルコンピュータを世に送り出し、破綻の淵にあったAppleを復活させ、iPodを生み、iTunesで流通までも変革したその業績を称える。後者は、Appleの生み出した製品がジョブス以外の才能によるもので、ジョブスはそれをプレゼンテーションする才に恵まれただけで大したものではない、と非難する。


その両者が共通するのは、大いなるイノベーターあるいはスポークスマンを失ったAppleは衰退するだろうというものだ。事実、Appleの株価は下落したし、Appleのファンですら不安を感じている。しかし、僕はそうは思わない。なぜなら、ジョブスが最後に作り出したAppleは生前のジョブスがその全てにコミット出来るほどに小さくシンプルな組織とビジネスであったからだ。

企業が衰退していくのは、その多くの場合は組織が肥大化し、ビジネスが無駄に複雑になってしまうことだ。企業を組織として一体に活動させるためには一つの哲学が必要になってくる。しかし、企業が大きくなると組織内組織や構成員が各々の考えによって活動することで効率を高めようとするが、それは逆に言うと組織内に利益が相反する活動が行われてしまうことになる。多くの企業で「社是」などが強調されるのはそれを矯正するためだ。

Appleは、ジョブスが紆余曲折によって作り出した哲学が十分に行き渡るほどに、小さな組織となっている。その上に、最後に残された製品とサービスはその哲学が体現されたものになっている。人は言葉ではなく行動によって矯正される。そして、Appleにあっては製品とサービスがその行動を規定する。

Appleの哲学とは何か。それは「人々の生活を変える」ということだと思う。それを実現するために、1)生活を変える製品 2)生活を変えるサービス 3)製品とサービスを人々に届けるロジスティクス だけに集中することが求められているのだ。1)はMacintoshやiPhoneに、2)はiTunesや保守サービスに、3)それらを届けるための生産工場、デバイス、プロモーションが最高に磨き上げられていく。

ジョブスによってAppleはルイ・ヴィトンやグッチといったブランドに成長した。ブランド価値の多くは継続的な広告投資によって形成される。Appleは自身の資金だけでなく、他人の資本によって行っている。CMだけでなく、MacintoshやiPhoneの名を冠した数々の雑誌に至っては、勝手に他人がプロモーションをしてくれるわけだから、ブランド価値が自動的に再生産されていく訳だ。そもそも、破綻寸前までいったAppleが企業としての態をなしていたのはエヴァンジェリストと呼ばれたユーザによるプロモーションによって根強いファンがいたからに他ならない。

ヴィトンやグッチといった高級ブランドとAppleのいる電子機器の世界ではその製品ライフサイクルの長さの違いから、同じではないかもしれない。でも、僕の生きている間くらいはAppleは素晴らしい体験を提供してくれるだろうと期待している。

古川賢太郎
ブログ:賢太郎の物書き修行