スティーブ・ジョブズの伝記を読んで - @ogawakazuhiro @hiro_ogawa

スティーブ・ジョブズの伝記を読みました。
巷では上巻の評価が高いようですが、僕にとっては下巻における Appleへの復活劇と、その後のiMacやiPod、iPhoneなどの革新的なプロダクトをいかに作り上げていくかの過程の方がより面白く感じました。

ただし、内容自体は従前の(非公式な)伝記とほとんど変わりません。だからにわかジョブズファンならいざ知らず、年季の入ったAppleユーザーからすれば、特に買うまでもない商品かもしれません。ただ、諸処のわずかなニュアンスの違いに面白みを感じ、そこから何らかのレッスンを汲み取れるのであれば”買い”でしょう。事実僕としては、上下巻で4000円弱のコストによって得た新しい知識はほぼゼロでしたが、それでもそこからエッセンスを抽出して、自分の新たな発想のフックにすることができたと思っています。


結局のところ、ジョブズという人は、批評家ではありません。当然ながらジャーナリストでもない。自分の理想通りのプロダクトを作るということに執念を燃やす実践者です。そして、常にシンプルかつミニマル(簡潔で最小限)というポリシーを決して忘れない。表現者として、そのこだわりがすごい。

Appleという会社は、現在Mac(パソコン)、iPhone(スマートフォン)、iPad(タブレット)、iPod(携帯音楽端末)という4つのデバイスと、それに付随するいくつかのアプリケーションと小型の周辺機器を作っています。また、それらのデバイスを制御するためにMac OSとiOSという(同梱異種の)二つのOSを作っていますが、これは近い将来統合されるはずです。一つのOSによって異なるデバイスを制御する。それがAppleの理想のはずだからです。(ちなみにGoogleもAndroidと Chromeという二つのOSを作っていますが、やはり近い将来Chromeに統合するはずです)
Appleは時価総額で世界最大にもなった企業ですが、これほどの企業でこれほどシンプルな事業をおこなっている会社は珍しい。事業をしぼる、フォーカスを守るということが重要であることは経営者なら誰にでも分かることなのですが、結局プロダクトが分散していくことを止められるCEOはほとんどいない。しかも、自分自身がそのプロダクトの開発に深く関与しているケースもほとんどありません。
Appleのほかに、一つか二つの事業にフォーカスを守りながら成功を継続している、同時にCEOが製品開発に100%コミットしている企業を挙げるとすれば、それはやはりGoogleくらいかもしれません。

僕は今、日本のWebのソーシャル化というミッションを自分に課しています。それは消費者が個人ユーザーとしてFacebookなどのソーシャルメディアを活用するというだけの意味ではなく、我々の生活に関与する政府や企業のソーシャル化という、より大きな意味を持ちます。また、人間関係というよりも、むしろ個々のデータのソーシャル化という意図の方が強いかもしれません。例えば銀行口座を一つ変えれば、それに関係するクレジットカードや保険や公共料金の支払い条件など、すべてが自律的に修正される。セマンティックWebといえば分かる人も多いかもしれませんが、個々の生活上の”つぶやき”の連鎖というよりも(それは誰か他の人に任せたい)、我々人間をとりまく多様なデータの連鎖を広げていくことに、ソーシャルの意味を感じるのです。

こうしたミッションを成し遂げるためには、より大きな力が必要です。
ジョブズでさえ、自分自身の理想の実現のためには、自分の資産やNeXTという矮小なベンチャーではなくAppleへの復帰を必要としました。もう一つの自分の会社であるPIXARにはクリエイターとしての関与はできず、投資家としての地位しか確保できませんでした。だから、Appleという強くて出自のよい馬を必要としたのです。
僕もまた、ひ弱な馬では上述のような理想的な社会の(ITによる)ソーシャル化という夢を実現できません。より大きくて強い力を得なければならないのです。そのために、いま必死の努力をしています。

最近の20代の若い世代と話していると、与えられた環境で満足していたり、その制限の中でがんばればいいという感じで、小さくまとまることを良しとする考え方が一般的なようです。
しかし、僕にはそれではいけないと感じます。環境までも変えてやる、そう思うことで初めて革命はなし得るのではないでしょうか。ジョブズがNeXTもしくはPIXARで満足していたら、彼はここまでのカリスマとして名を残すことはなかった。ジョブズがジョブズであるためにはAppleが必要だった。だから彼は幸運にも訪れたワンチャンスをものにして、劇的に古巣に戻ると、巧みに実権を掌握していったのです。その意味で、サラリーマンでいる限りにおいてはジョブズを真似るということはできない相談かもしれません。

トヨタの開発者たちが、メルセデスのドアを閉めるときの、静謐ながらオーナーのプライドをくすぐる絶妙な音と感触を再現しようと研究していたときの話です。彼らは何台ものメルセデスを分解して調べましたが、結局メルセデスのドアの秘密はドアにあるのではなく、車体全体を精密に作っていることによる副産物であると考えざるを得ませんでした。つまり、細部を真似るには全体を再現しなければならないのです。
同じように、ジョブズに何か学ぶとすれば、それはジョブズのように起業して、デザインやテクノロジーを愛して、自分の理想的なプロダクトを作ることに寝食を忘れ、その母体としての会社の成長にすべてを賭けてみるしかないのかもしれません。

少なくとも僕はそうしたい。そう思っています。