オリンパス問題の背景にあるもの

松本 徹三

先週は色々な会議が重なって10日間ぶっ続けで海外にいたが、その時に強く感じたのは、日本ではあまり大きく取り上げられていない「オリンパス問題」が海外では連日のようにかなり大きく報じられていたことだ。私の海外の友人等も、「TPP加入問題」や「原発事故の後処理問題(除染問題や食品の安全確保問題)」等については、こちらが拍子抜けする程、何も質問してこないのに、「オリンパス問題」については、ほぼ全員が聞いてきた。


正直に言えば、かく言う私も、当初は「オリンパス問題」をさして深くは考えていなかった事を告白しなければならない。「え、そんな酷い事をやっていたの?」という程度の感覚だった。しかし、日本人には異常と思われる程の海外での高い関心を目の当たりにして、私も深く考えるに至った。とにかく、この事件は、日本全体の信用にも陰を落とし、海外投資家の日本株への警戒感も助長しかねないので、無関心ではいられない。

世界の資本主義体制を支えている近代の会社法は、当然の事ながら「会社の経営者が株主を騙す」事を禁じている。これはれっきとした犯罪だから、その犯罪を防止し、或いはそれを早期に摘発する仕組みも作っている。それを目的とする諸法規が整備されており、取締役会や監査役、会計監査会社がそれを担保する仕組みになっている。各企業の現場でも、昨今は「コンプライアンス」という言葉が頻繁に使われるようになっており、社員の意識も高まっている。(一部では「神経質に過ぎる」と思われる程だ。)

それでも、「浜の真砂は尽きぬ」と言われるように、世の中の「嘘」と「ごまかし」を根絶する事はできない。今のこの時点でも、公私を問わず多くの職場で、「まあ、表向きはこういう事にしておいて」とか「これは絶対に表には出せませんが…」とかいう話が、数限りなく公然と行われている事だろう。あたかも、今この時点で、制限速度を越えて走っている車が数え切れない程あるのと同じ事だ。

こういった「表と裏の使い分け」は、何も日本だけに限ったことではなく、世界各国で共通する事だ。それなのに、何故今回のオリンパスの事件がこの様に世界各国の耳目を集めたかと言えば、「あまりに大それたことが白昼堂々と行われた」という「意外性」と、それに疑問を投げかけた日本では珍しい外国人社長が直ちに解任された故だと、私は思っている。

つまり、「真っ昼間に銀行から覆面をした男達が出てきたのに、誰もそれに気がつかず、近くにいた警官(会計監査会社)も黙ったまま。一人の銀行員(英国人社長)がビルから出てきて『泥棒』と言いかけたら、何人かの紳士(元社長など)が同じビルから出て来て、彼をどこかに連れ去ってしまった」という光景に見えるのだ。これでは話題にならないわけはない。

我々日本人としては大変困るのは、「普通なら誰でも気付く筈の異常に巨額な仲介手数料」に疑問を投げかけた新社長が、たまたま外国人であった事、そして、彼が、「社内で軋轢が生じる」という理由で、日本人達に解任されてしまった事だ。これでは世の中の外国人達はどう思うだろうか?

1)日本の会社では、この様な明らかな不正行為でも、外国人が中に入ってそれを指摘しない限りは、闇から闇に葬られていると思われる。
2)日本の会計監査会社は、本来の役割を全く果たしておらず、日本政府は、この様な「無能、或いは不正直な会社」に免許を与え続けている。

この後者の問題は、損害を受けた海外の投資家に日本政府を提訴する口実を与える。この事をTPPのISD条項と結び付けて、「IPPに加入してISD条項を受け入れれば、この様な訴訟が頻発するぞ」と言って警鐘を鳴らす人もいるが、これもまた変な話だ。

そもそも国内投資家であっても、この事で日本政府を提訴する事は出来る筈であり、日本の投資家がそれをしないのは、恐らくは「お上を訴えるなど恐れ多い」という考えが一般的だからだろう。これは、むしろ日本人が自らの曖昧さを反省すべき問題であり、提訴する外国人を警戒したり、非難したりするのは筋違いだ。

(ISD条項については、論じ出せば長くなるのでここではこれ以上触れないが、日本国内でのビジネスについては日本の国内法が優先されるのは当然の事であり、民間の通常の契約にはその事が明記されているのが普通だし、投資家もそれを前提に投資している筈だ。しかし、投資の時点ではなかった法令が後から施行された場合は、その法令自体が、憲法、民法、商法、その他の「以前から存在していた国内法」で保護されていた投資家の権利を害さないかどうかが論点になる。ISD条項は、「日本人や日本企業でなくても、この様な論争を法廷で行える」事を担保する「手続き条項」に過ぎないと私は理解しているが、間違っているだろうか?)

今回のオリンパスの件については、大体下記のような事が起こったのだろうと、私自身は勝手に解釈している。(私も長年にわたり日本で色々なビジネスに関与してきた経験があるので、この様な状況は手に取るように想像出来る。)

1)オリンパスは、他の多くの企業同様、好況時に多額の現金を手中にしたが、良い新規投資先も特に見当たらなかったので、金融業者等の奨めに応じて、これを所謂「財テク」で運用して高利回りを得ようと考えた。
2)これが裏目に出て莫大な含み損を抱えたが、これは「恥ずかしい」事だったし、「経営上の失策」と批判されるのも嫌だったので、「この事は最後まで隠し続けよう」と決め、そのうちに何等かの方策で挽回しようと考えていた。
3)なかなか挽回の機会がなく、含み損は却って膨らんだが、たまたま海外の会社を買収する機会があったので、「この会社を実質的に高値で買収した形にして、『懸案の含み損』をここで生ずる経費として付け替えれば、誰にも見破られないだろう」と考え、これを実行した。
4)この問題は、損失発生当時から、社長や財務担当役員などの限られた人達しか知らない機密事項として処理し、社長や関係役員が代替わりする度に機密事項として引き継いできたが、外国人新社長の就任に当たっては、「既に処理済」と考えて引き継がなかった。
5)しかし、この外国人社長は、前経営陣の予想に反し、過去の帳簿を点検して疑惑をもち、この事を質問してきたので、事態が表に出ることを恐れた前経営陣は、直ちに彼を解任して、問題を闇の中に葬ろうとした。

通常の日本企業においては、歴代の新社長は、現社長及び前社長(多くの場合、現会長)、及び、場合によれば名誉顧問や最高顧問などの肩書きを持つ人達によって決定される。社長職の引継ぎに当たっては、「それからなあ、これは機密事項なので、君とXX君しか知らない事になっているが…」等と切り出して、幾つかの機密事項が引き継がれる。(全てとは言わぬまでも、その中には非合法のものも含まれる場合が多い。)新社長は、多少は動揺するような事があっても、自分を社長にしてくれた人からの命令や依頼には逆らえない。(取締役も同様であり、通常は、新任取締役は自分を選んでくれた社長には「恩義」があると考え、就任後も社長の不利になるような事はしない。)

しかし、外部から招かれた新社長(特にそれが縁故のない外国人であった場合)は、このような「恩義」の感覚はない。会社法上の建前通り、ひたすら株主の為に働き、数字で実績を上げて期待に応えようとする。だから、前経営陣が昔ながらの感覚にどっぷりつかってしまっていると、思いもかけなかった事態に遭遇する事になる。彼を社長に選んだ前社長にすれば、「裏切られた」という事になるのだろうが、会社の本当の所有者である株主からみれば、「裏切り者」は前社長の方であり、新社長は事態を正常化させたに過ぎない。

現在、世界の経済は、西洋社会の基本である「契約」によって運営されている。そして「契約」のバックボーンとしては、「法と正義」がある。これに対して、日本を含む東洋社会は、長い間「儒教」の影響下にあり、全てを律する「心の拠り所」は、「仁」「信」「義」「忠」「孝」「礼」等の「儒教」における徳目の中にあった。

ここで注目すべきは、これ等全ての儒教的徳目は、何れも「人間と人間との関係」に関連するもので、西洋社会が「心の拠り所」とする「神との契約」や「絶対的な正義」とは全く趣を事にしているという事だ。

西洋人は、常に、自分のやっていることが「神の前で正しいか」を自分に問い、その答えに基づいて行動するが、東洋人は、自分の「主君」や「親」や「仲間」のやっている事が「正しいかどうか」を問う以前に、「彼等に真心で接し、決して裏切らない」事を心に誓う。そのどちらが良いか悪いかは、取り敢えず措くとして、東洋と西洋では、その徳目の差異がこの様に極めて大きい事を、我々はよく理解しておく必要がある。

かつての世界に君臨したのは、ローマ帝国やアレクサンダー大王、ジンギス・ハーンやその後継者達、或いは、漢、唐、明といった中国の大帝国の「武力」だった。しかし、その後は、西欧社会が、大帆船の建造技術、銃や大砲の製造技術、蒸気機関やその他の機械類の製造技術を次々に進化させて、これ等の技術に支えられた武力と経済力で世界に君臨した。それと同時に、西欧社会では市民の力が強まり、自由経済体制(資本主義)と民主主義が多くの事を律するようになり、その流れは、様々な紆余曲折を経て、アジア・アフリカや米州諸国にも伝わっていった。

従って、長年固有の文化を育んできた我々日本人としても、毎日の経済活動については、現在は西欧社会の伝統を引き継いだシステムを使っている。という事は、個々の人間の価値観はどうであれ、こと経済活動に関しては、好むと好まざるとに関わらず、西洋社会の価値観に基づいて全てを行わざるを得ないのだ。西欧の法制度に倣って会社法を作り、それに基づいて設立された株式会社を運営しながら、「契約社会」の基本を無視して、東洋的な「仁義」によって身を律しようとしているとすれば、それは自己矛盾以外の何者でもない。

しかし、日本人の多くが、まだこの事に釈然としていないのは事実のようだ。(日米間の取引に長年関わってきた私には、それがよく読み取れる。)だからこそ、いつまでも被害者意識から抜けきれず、事ある毎に「これは米国の陰謀だ」とか、「米国は必ずこれを押し付けてくる」といった議論が出てくるのだと思う。(TPPの問題に関連してこういう議論が出てくるのは、まだ分からぬでもないが、オリンパスの問題に関してまでこういう事を言う人が居るのには、正直言って心底驚いた。)

この様な日本人の心理の中で、完全に欠落しているのは、「法と正義」に対する感覚だ。本当は、常に「法と正義」のみを拠り所にして、堂々と対処してさえいれば、欧米人との交渉事に際しては、実は何も恐れる事はないのだが、これが十分に理解されていないのは如何にも残念だ。

私は米国の会社で長年働き、日本を含む多くの国が、ともすれば「法と正義」の原則に反して、米国企業を差別的に扱おうとする傾向があるのを見てきた。私は日本人だが、そういう場合には、心の底から米国の会社の側に立つことを躊躇う事はなかった。しかし、逆に、米国側が実現したい事が実は「法と正義」の原則に反すると私が思った場合には、その事を指摘して、「理不尽な押し付け」を思いとどまらすように働きかけたし、そのような試みの多くは成功した。”As it sounds not logical, it won’t work.(言い分が合理的ではないから、そんな事を言ってみても通りませんよ)”と言えば、概ね分かって貰えたからだった。

さて、オリンパスはこれからどうなるのか? 私は、個人的には「必ず立ち直る」と考えている。よい商品を持っているし、技術力や社員の力にも遜色はない様に思える。経営陣を刷新して、「法を遵守し、嘘をつかず、当たり前の事を当たり前にやる」会社を作ればよいだけの事ではないだろうか?