ウォール街を占拠せよデモについて

藤沢 数希

“Occupy Wall Street (ウォール街を占拠せよ)”の掛け声ではじまった、金融機関や大企業、そして富裕層に対する抗議デモは、世界各地に広がっている。1%の人間が富を独占しているが、政治は残りの99%のために行われなければいけない、と主張している。筆者はグローバルな金融機関に勤務しており、デモが糾弾している対象である。よって、これから書く意見はそういう立場の人物が書いたものであるということを踏まえて読んでもらいたい。


結論からいうと、彼らの主張は論理的に間違っており、代案が何もないという点で、生産的ではない。たとえば、富める1%側の金融機関が過剰に貸出を行いバブルを生成し、そして崩壊させたというが、それは裏返せば残りの99%の人間が分不相応な借入を行い身の丈以上の贅沢な暮らしをしていたということに他ならない。多くのグローバル企業は、さまざまなモノやサービスを安価に生み出しており、これらの企業がなくなれば市民の生活が不便になるのは間違いない。世界的に進行するグローバリゼーションは、途上国の人々の生活水準を間違いなく押し上げている。

このように「ウォール街を占拠せよデモ」に反論するのは簡単だ。しかし筆者は彼らの憤りも十分理解できる。先進国で次々と失われていく仕事が、新しい仕事に置き換わっていくのは、経済学者が考えるほど簡単なプロセスではなく、そこには痛みが伴う。また、彼らの疑問のひとつは非常に本質的だ。経済が好調の時に多額の金をポケットに入れた銀行家が、金融危機により銀行が潰れそうになると、なぜ税金で救済されなければいけないのか、という疑問だ。深刻なモラルハザードである。

2008年の世界同時金融危機では、多くの銀行に生命維持装置が取り付けられた。そして欧州の債務問題で、さらに大きな生命維持装置が必要になった。政府の信用で、銀行が保有する様々な債権を保証しなければいけなくなった。政府の信用とは、つまるところ徴税権に他ならない。結局、銀行とは関係ない国民が尻を拭ったのだ。だからといって、銀行と関係ない国民が、銀行を救済しないという選択肢はない。銀行が潰れれば困るのは国民だからだ。このような銃を突きつけながら交渉するようなことが許されていいのだろうか。残念ながら、このモラルハザードを解決する妙案を筆者は持ち合わせていない。