「肩書き詐称」も創業家の特権か?―大王製紙事件に感じた事。

北村 隆司

大王製紙の井川親子の非常識極まりない行動を報道で知り、意高前会長の父親である高雄氏の若き頃の印象との違いの大きさに唖然とするばかりであった。

大学を卒業した1962年に、父伊勢吉氏の創業した大王製紙に入社した高雄氏を迎えたのは、同社が振り出した1億6900万円の決済手形が不当りになって、会社更生法を申請すると言う試練であった。

当時の大王製紙の事情に詳しい私の職場の先輩の話では、更生期間中に事業管財人として送られた伊藤忠のトップも相手にしない豪腕振りを発揮した父伊勢吉氏は、2年弱と言う異常な速さで更正手続きを終了させた凄腕の持ち主でもあったと言う。


高雄氏は、会社更正が終了した1964-5年前後に、私の上司を尋ねてニューヨークによく来られた。その時の印象は、物腰の柔らかい、痩身の好男子(今で言うイケメン)の紳士そのもので、その後超ワンマンの経営者として君臨し、中興の租と言われる人物になるとは想像も出来なかった。高雄氏の体内には、伊勢吉氏のDNAが脈々と継がれていた違いない。

オリンパスをはじめとする一連の企業統治問題を巡る不祥事の共通点は、読売の渡邊氏といい、オリンパスの菊川氏と言い、今回の大王の井川親子と言い「俺は知らなかった」と言う卑怯な弁解で自分の責任を逃れようとするワンマンの姿である。一見、指導力のある人物に見えたのも、実は内弁慶の仮の姿だと知ると落胆する。

部下には使わせない「知らなかった」の一言で、責任が回避できるのであれば、会社法第49条に定められた代表取締役の権限と責任を全面的に見直す必要がある。

この様な専制君主的企業統治が引き起こす不祥事を不問にすれば、この様な不祥事が、日本的企業統治の典型的な産物だと誤解される恐れすらある。

ワンマン経営は茶坊主がいてはじめて成り立つのが通例である。不祥事に伴う、不自然さと危うさの前兆に役員や監査役が気が付かなかったとしたら、無能であり、不正に目をつむり、チェック機能を働かせなかったとすれば、企業を裏切る茶坊主である。何れにせよ、その任にあった役職者の責任は逃れられない。  

大王製紙の場合は更に重大である。息子の巨額借り入れに気が付いた高雄氏は「あほか。絶対こんなことはやるな」と意高氏をしかり、貸し付けた子会社の役員には「こんなことをしたら背任行為になるぞ」と指摘したという。それでありながら、透明性を重んじルコンプライアンスに従い、問題を直ちに公にしなかった事は腑に落ちない。

更に、高雄氏が息子の不正に気が付いた時は、取締役ではなかったと言う強弁は高雄氏の品格の低さを物語る。少しでも常識を持ち合わせていたならば、息子の非行を株主は勿論、全ての利害関係者に通報するのが筆頭株主、創業家の義務である筈だ。

無責任な弁解は更に続く。彼は、高雄氏の指摘により会社(大王製紙)側も問題を把握したはずで、その後の処分を怠ったのは、財務経理担当の役員や監査役の責任を追及すべきで、自分には責任がないと主張する。それだけではない、特別調査委員会が「井川父子の強い支配権」と指摘した事は「最初からストーリーができていた」と強い不満を示したと言う事実だ。 

朝日新聞のインタビュー記事に依ると、佐光社長と山川監査役が高雄氏のところにきて、調査委員会の調査内容をメモしたものを手渡しながら、顧問を辞めてほしいと解職の通知みたいな事を言ったが、こういう調査で、井川家の責任にして終わってしまったら、大王製紙はまた同じことを繰り返す事になると批判している。

会社側が決めた高雄氏の顧問職からの解職を不当だと考える高雄氏は、ひとりよがりを押し通して来た習慣から「今後も大王製紙顧問として、引き続き会社の経営に参画する」と言う書簡を主たる取引先に送っていると言う。

気に入るか入らないかは別にして、正式に解職された肩書きを継続して使う事は、肩書き詐称である。肩書詐称が、詐欺とか私文書偽造の様な犯罪ではないにしても、倫理にもとる事は疑う余地もない。創業家で筆頭株主だからと言って、肩書きを詐称する権利はない筈である。

同氏が、ここまで役職にこだわるほど身を落とした原因も、永年に亘る茶坊主に囲まれた「絶対君主」と言う社風の犠牲だとしてもが、見過ごす訳には行かない。

北村 隆司