なんだ、「普通の会社」だった オリンパス!

北村 隆司

オリンパスが経営のグローバル化を目指して、英国人のウッドフォード執行役員をごぼう抜きで社長に抜擢しながら、一年も経たないうちに解任した時は誰もが驚いた。

「独断専横の経営判断で組織を混乱させ、社員の信頼を失い、さらに、企業風土や日本の文化を理解できなかった」と言う解任理由に疑いを持ち、この疑惑が海外での日本全体の信用を落とす事が懸念した人は多い。

第三者委員会のレポートが挙げた「財テク失敗」「隠蔽」「飛ばし」「資金洗浄」「帳簿改竄」「監査法人との野合」「強欲証券業界人の暗躍」「保身とごますり」「視界ゼロの経営」などの原因は、日本企業に共通した体質で、この指摘は、オリンパスがごく平均的な日本企業である事を証明した様なものである。


なぜかこのレポートは、不正の原資を供給したに違いない、金融機関の責任には触れて居ない。
不正経理の本場である英米では、不正の歴史、規模、精巧さ、編み出される新規軸の多さ、悪質さ、どれ一つ取っても日本の比ではない。
英米と日本で最も異なるのは、不正の動機である。

欲得を動機とした英米の不正経理は、確信犯によって起される場合が多く、摘発された後でも、合非を巡って激しい論戦が行われるのが通例だ。
それに比べ、日本に於ける大企業の不正経理の殆どは、失敗を隠す保身が動機だけに、正当性を巡っての論議は少なく、「知らなかった」と言う弁解に終始する。論戦も出来ず、他人に罪を押し付ける企業トップの姿は情けないを通り越して悲しくなる。

そもそも、トップがが決算内容を知らないと言う非常識が通ずる訳もなく、「知らなかった」と強弁する日本のトップの姿は、質が悪い嘘つきだと思われるだけだ。
日本のイメージの悪さは、企業統治だけに留まらない。沖縄の不適正発言問題でも「オフレコ」と約束しながら、記事が売れそうだと思うと約束をほごにしてしまう日本のメディアに「情報源の秘匿」と言う権利を与えて良いものか? と言う疑問が起きても当然だ。

日本人には「監視」は司法に任せると言う風潮が強く、「自主監視」は不正の監視より「見つからない為の相互監視」に走り勝ちだ。これも、日本の信用を傷つけている。
第三者委員会が指摘した「中枢が腐っており、周辺部分も汚染され、悪い意味でのサラリーマン根性の集大成というべき状態」とは、日本の現状そのものである。 

月刊『FACTA』の記事で「過去の不透明な会計処理疑惑を知ったウッドフォード新社長が外部調査を依頼した結果、多くの不審点が判明し、同氏が経営トップの引責辞任を求めた事は当然である。
この点では、経営のグローバル化を目指してウッドフォード氏を抜擢した菊川氏の狙いが正しかったのは皮肉である。

英国人のウッドフォード氏が、論語にある「見義不為、無勇也(義を見て為さざるは、勇無きなり)」と言う教えに従い、オリンパスが論語の教えを「企業風土や日本の文化を理解できなかった」と非難した事は、日本人としては耐えられない。

英米の法制度では「善意の事故には結果責任を問わない」「良きサマリア人法」(good Samaritan law)が確立され、人間の正義感を制度的に保障し、内部通報者保護法や職場苦情処理法も充実させている。
日本も欧米の様に「見義不為、無勇也」を保護、奨励する法制度を確率すると同時に、「ことなかれ主義」を排除する努力をしなければ、企業統治を幾ら強化しても、第二、第三のオリンパスの出現は防げない。

北村隆司


英語版『論語』 Analects of Confucius by Confucius