大学は何を教育するところか

2011年12月21日 23:49

最近、アゴラで大学教育のあり方、あるいは教育そのもののあり方が論じられています。しかし、これらの議論で、大学が何を教育すべきなのか、という根本的な問題が、論じられていないことは問題です。 大学とは何を教育するところなのでしょうか。


大学教育と職業

大学は、社会と学生生活の接点となっていることから、職業を意識して教育すべきという意見がアゴラでは多いように思います。 確かに、医学部はその卒業生の殆どが医師になるので、職業に直結した教育をしていると言えるでしょう。 

しかし、その他の大部分の学科は、職業と直結した教育をしているとは言えません。特に経済学部、文学部といった人文系の学部では、その教育内容から職業を想像するのは難しいくらいです。 マクロ経済学を勉強して、それなりに役に立っている人がどれだけいるかといえば殆どいないでしょう。理工系でも研究室で研究した研究が社会に出て役に立つことは殆どないようです。

それでは単に学力を出身校で仕分けするだけしか大学教育は意味がないのでしょうか? 大学をもっと職業に直結した教育をするように、教育内容を改めるべきなのでしょうか? 

後者について言うと、これは困難なように思います。理学部、工学部を例にとれば、メーカーといった関連性の高い企業に就職する場合でも、自らの専門と合った企業に就職する学生は少ないのです。 複雑多岐に渡る、企業のニーズに合わせて教育内容を細分化することはむしろ弊害の方が大きいでしょう。 

大学の役割は、そんなところにはないのです。 

仕事ができるということ

よく彼は仕事ができる、とか、仕事ができない、という話を耳にします。仕事ができるとは一体どういうことでしょう。 この場合、肉体労働はほぼなくなった日本では、仕事とは頭脳労働のことでしょうから、仕事ができるというのは、与えられた仕事を的確に素早く行う能力のことと言ってよいでしょう。それでは、そうした能力とは一体何でしょう。 これを抽象化して考えると、与えられた情報を素早く理解し、的確に処理して、正しい判断を下すことができるということでしょう。

大学教育の目的

私は大学教育の目的とは、

(1) 最低限の専門のリテラシーを身につける。
(2) 与えられた情報を理解し処理する能力を高めること 

だと考えています。(1)については言うまでもないことで、(2)が教育の本質です。

今の大学生は氾濫する情報に囲まれて生活していますが、情報を自らの頭で主体的に考え、理解をするというのが、苦手です。 実際に、ゼミでテキストを読ませると、よく調べて来る学生でも、自分で考えた形跡が見られないことがしばしばあります。こういった点を指摘し、目の前で考えさせることで、少しづつですが、学生の能力は向上してゆきます。工学部の卒業研究なども、研究という意味は薄いものが多いのでしょうが、研究活動を通じて学生が自ら考え試行錯誤することに意味があると考えます。

情報化の進展により単にに知識を得るだけならスマートフォン1台でかなりの部分をカバーできる時代であり、知識そのものの価値は限りなくゼロに近い。従って大学の役割はかつての知識の伝授ということから、知の技法、即ち情報(知識)を如何に整理し、分析し活用するのか、を教えるということにシフトしているのです。  

大学で何を学ぶのかということも一定の意味があるのでしょうが、研究者になるごく一部の学生を除いては、頭の使い方を学ぶ、ということが大学教育の本質だと私は思います(勿論、自分の頭を使わず他人のレポートを丸写しにするような学生は、大学の授業料の無駄遣いをしていることになります)。 このように大学教育の意義というのは無形のものではないでしょうか。   

 

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