「危険神話」は繰り返す

池田 信夫

今年最大のニュースは、いうまでもなく東日本大震災と福島第一原発事故だが、両者は性格が違う。前者では2万人近い人命が現実に失われたが、後者では放射線による死者はゼロであり、今後も出ることは考えられない。他方、政府の事故調が指摘しているように、東電や国に「安全神話」があったことも明らかだ。つまり今回の事故では次の二つの神話が崩壊したのである。

    ・安全神話:炉心溶融による苛酷事故は起こらない
    ・危険神話:苛酷事故が起こると数万人が死ぬ


このうち後者はあまり気づかれないが、これは大島堅一氏のような専門家には(反原発派にも)共有されている事実認識である。放射能の健康被害は、従来の想定よりもはるかに小さいのだ。これは、実はICRPが2007年に出した103号勧告でも示されていた。その年間線量限度は次のようになっている:

  • 計画被曝状況(被曝が生じる前に放射線防護を計画することができ、被ばくの大きさと範囲を合理的に予測できる状況):1mSv

  • 現存被曝状況(管理についての決定がなされる時点で既に被曝が発生している状況):1~20mSv
  • 緊急時被曝状況(急を要する防護対策及び長期的な防護対策も履行されることが要求されるかもしれない不測の状況):20~100mSv

つまり原発事故の直後のような「緊急時被曝状況」では、ICRPは実質的に年間100mSvまでの被曝を認めているのだ。SPEEDIの予測でも、累積線量が100mSvを超えたのは原発の北西部の10km以内、20mSvでも20km以内に限られるので、30km圏内の大規模な避難は必要なかった。

もちろんこれは結果論であり、初期にはSPEEDIのデータも利用できなかったので、行政が「過剰防衛」したのはやむをえないが、その後もずっと避難勧告を解除しなかったことは被災者に大きな負担となった。この原因は、マスメディアだけでなくネットメディアも放射線の危険を誇大に報じ、「リスクゼロ」を求める人々が騒いだからだ。

このように大事件のあと危険神話が一人歩きするのは、今回だけではない。2001年の9・11では航空機の利用が激減し、全世界で「セキュリティ産業」が大繁盛した。ブッシュ政権は3000人の死者に報復して、イラク戦争で10万人の死者を出した。ガードナーも指摘するように、こうした過剰セキュリティはアメリカ社会に大きな社会的コストをもたらしたが、それはすべての人が薄く広く負担するので目に見えない。

今回の放射能に対する過剰反応もパニックの後遺症で、1年もすれば平静に戻るだろう。さんざん恐怖をあおった自称ジャーナリストも形勢不利とみたのか、来年から活動を休止するらしい。来年はこういうデマに惑わされず、冷静にリスク管理を考えたいものだ。その趣旨で、アゴラ研究所ではGEPRというウェブサイトを1月2日に公開する。