マクロ行動経済学(ファイナンス)

小幡 績

池尾氏に先を越されてしまった。まだ、三部構成の第一部である。

ノイズトレーダーリスク、ノイズトレーダーの存在自体が裁定取引を可能にし、その存在がリスクをもたらすことにより、裁定取引の限界を作る。だから、完全に裁定されることは起きえない。

このロジックだけでは、つまらない、とおっしゃる。私は、これだけも重要であり、意外と、この裁定取引の限界が構造的に本質的に逃れ得ないものを示している時点で、一般の裁定取引の限界(財務的制約、情報制約、合理性の制約、裁定取引プレイヤー不足)の議論とは、質の異なる本源的な議論だと思う。

しかし、これはノイズが残り続ける、という第一歩に過ぎない。もちろん、その先があるのだ。


ノイズが残り続けるとなれば、どうなるだろうか。ノイズを使って儲けようとする。ノイズが枯渇しそうに鳴ったら?ノイズを作ってやれば良い。池尾氏の彼自身の発言の引用は、私の主張と100%同じで、何の文句もない。確かに、小幡君が知っていることぐらいは、池尾氏は100年前から知っていたのだろう。しかし、少なくとも池尾氏は経済学会でも、その点では少数派である。

それはともかく、池尾氏の引用で、第二部の前半は済んでいる。第二部とは、ノイズが残り続けることが前提となり、ノイズトレーダーがいることが分かれば、そのノイズを消すのではなく、利用して儲けようとするはずだ、ということだ。これが超合理性である。

ファンダメンタルズを軸に裁定取引をするのが合理的だとすれば、ノイズトレーダーを利用して儲けるのが超合理的な投資家だ。彼が、単に合理的でなく、超合理的であるのは、市場の構造全体を分かっているという点で、ファンダメンタルズを理解しているという静的な合理性を超えた、動的な合理性を持っているからだ。

動的な合理性とは何か。ノイズトレーダーを含め、投資家の将来行動を予測できるということである。そして、その行動が、市場全体の構造の中で、市場自体をどう動かすか予測できる、ということである。いわば神になるということだ。

こうなると、ノイズの枯渇の危機はなくなる。儲けるためのノイズは作れば良い。作り方はいろいろ、と言ってもいいが、それは二通りある。

第一は、池尾氏が指摘したように、ノイズ、割れ目を作ってやる、ということだ。下品な官僚用語なら、マッチポンプ、普通に言えば、自作自演ということだ。よってこれが第二部前半の話。

後半は?物事はそんなに単純だろうか、ということである。割れ目を作るのは好いが、それでどうして儲かるのか、ということだ。自作自演で儲かる理由が必要だ。強盗にあったという自作自演は、それで、保険金をもらうか、無くなったお金を本当の持ち主に返さないか、何らかの外部が必要だ。

自作自演とは、相場で言えば、仕手である。仕手は相場操縦だ。なんだ、仕手か、というのはまだ早い。なぜ仕手が儲かるのかは、もう一つ要素が必要だからだ。

仕手は、自作自演だけでは儲からない。出来高を増やして、上場を維持するという目的なら別だが、売買で儲けないといけないからだ。仕手が買い上げたとき、何が起こるか。追随して買うやつが出てくる。これが仕手が儲かる原因だ。外部が必要だ。彼らは、なぜ仕手株などを買うのか。わざわざ仕手筋に騙されるために買うのか。そうではない。儲けるために買うのだ。

仕手だとみんな分かっているのだ。仕手筋は上げて、落とす。それならば、上げの途中で、落ちる前に売れば確実に儲かる。だから、追随するのだ。

これはバブルのミニチュア版である。バブルに分かっていて突っ込むのは、セオリーだ。バブルだと分からなかった、という人もたまにいるが、それは単なるカモだ。仕手株を知らずに上がっているから買うのと全く同じだ。仕手か、バブルか、調べればすぐに分かる。

このとき、超合理的とはどういうことか。仕手に対して追随する、コバンザメ投資戦略といっても、提灯買いといっても、フォロワーといっても、なんと言ってもいいが、彼らがいるから、仕手は儲かるのである。

日常の市場も同じだ。投資銀行がBRICSと煽れば、乗ってくる。次は、ベトナムだ、というのも乗る。不安な時代はゴールド、原油は200ドル行く、すべて同じ構造だ。

つまり、フォロワーの動き、それによる市場の変動が予測できるのであれば、フォロワーというノイズトレーダーの行動を操作するために、ノイズを作り出すことが儲ける手段となる。このときに、単純にノイズを作り出すのは、難しくないが、大規模なフォローを誘うのは難しいので、大きく儲けるためには、仕手のような完全に作られたバブル、ノイズではなく、自然に生まれたノイズ、あるいは、外から降ってきたノイズを膨らませることによって、大規模にフォロワーを呼び込み、大きく儲けることを目指す。これが第二部の後半である。

ITバブルはその典型であり、IT革命自体は本物、ファンダメンタルズがあったが、その価格付けはバブルだった。そのバブルを膨らませたのは、第一弾は、実際のテクノロジーの衝撃だったが、その衝撃を利用して、とことんバブルとしたのは、このような超合理性を持った投資家達であった。

ここに、単に、合理的な投資家、裁定取引者と同じように、市場の結果(価格)を見て、自分一人でそれを利用しようとする、動かそうとするのは、スタティック、静的な合理性であり、第二部の前半と私が呼んだものである。後半は、ダイナミックにこれを膨らませることが焦点となる。そのときに膨らむのは、単なる情報操作ではなくて、膨張が自己実現する市場構造的な仕組みである。ノイズがあり、それに乗るノイズトレーダーがいて、その動きを観察し、将来を予測できる超合理的な投資家がいて、これらがダイナミックに、市場を通じて取引をすることにより、カネも情報もやりとりすることにより、市場が動く。このダイナミズムを予測し、利用するのが、ダイナミックな超合理性である。この場合の情報とは、取引、価格、それ自体であり、市場の結果が投資家の次の行動を誘発し、それが市場の結果となり、またそれが投資家を動かす。

これこそが市場の本質であり、これを捉えるためには、投資家の相互作用が生み出される社会、市場が必要なのであり、これを分析するには、いわば、個々の経済主体の経済行動を分析するミクロ行動ファイナンスだけでなく、それから生まれる、しかも、ダイナミックに、個々の動きを単に足したものではない、代表的個人という現代ファイナンスの枠組みでは捉えられない動き(合成の誤謬もそのひとつだ)を分析するマクロ行動ファイナンスが必要となるのである。