龍の年、李小龍を思う

矢澤 豊

明日は春節(旧正月)。当地、香港では老若男女が花市(旧正月の飾りを売る市場)で買い求めてきたと思われる花や、縁起物の数々をたずさえて、道を急いでいる。

旧暦を農暦とはよくいったもので、例年この時期が一年で一番の冷え込みとなり、これを境にだんだん暖かくなっていく。まさに新「春」なのだ。

来る年は辰年、龍の年ということで、牽強付会ではあるが、「龍」つながりで一席。


当地の中國人の友人たち(香港人を含める)と語りあうとき、冗談半分、真剣半分で次のようにたずねる。

「君たちは現代中國を築き上げた一番の貢献者は誰だと思う。」

たいていの中國人は孫文(孫逸仙、または孫中山)と、教科書通りの解答をする。または毛沢東、または鄧小平などともいう。

そこで私は、

「いや、李小龍(りー・しゃおろん、ブルース・リー)を忘れちゃいかんよ。」

と言って、笑わせる。

ジョーク半分であるが、半分は真面目だ。

もちろん孫文は偉大だ。満州人皇帝に支配されつづけ、永い衰退の眠りに陥っていた前時代的な中國人に、近代国家を樹立するという「坂の上の雲」を示し、60年に満たないその命を革命に捧げた人生は「国父」と呼ばれるにふさわしい。

しかし孫文の偉業は、その後の国民党のダメダメぶりと、国民党の創始者としての孫文の功績に関して座りの悪い中國共産党の「賞揚はしても多くを語らず」といった姿勢のため、中國人にとってはいま一つピンぼけ状態である。

私個人的には孫文の情熱の源泉がいったいなんであったのかということに非常に興味がある。孫文はそれなりの家に生まれて、留学までさせてもらい、医者となり、経済的にも社会的にも安泰な人生が約束されていた。にもかかわらず、彼は革命家としての人生に身を投じ、世界中の華僑を相手に「革命債券」などといったベンチャーまがいの資金集めを行い、ヤクザのような裏世界の人間とも交際し、あちらこちらで結婚三回。苦労して孫文を育て上げたお母さんにしてみれば、「親不孝」そのものだ。「親に孝」とは、中國人にとって基本のキホン。孫文先生、立派な不良である。

できれば中國にも司馬遼太郎のような人が現れて、孫文を題材におおいに筆を揮っていただきたいものである。

閑話休題。言帰正伝。

毛沢東の功績は、功罪相半ばしており、またどうしても「酒席の余興に論じ合う」ことができる対象ではない。未だに。

鄧小平の先見性と偉大さは疑うべくも無いが、その功績の結果は死後5年を経ていまだに最終章に至っていないという見方もできる。そのこと自体、すでに偉大さの証明のようでもあるが。

そこで我らがドラゴン、ブルース・リーなのである。

繰り返すが、私はかなり真面目である。

孫文の「三民主義」と辛亥革命、毛沢東の大陸統一、鄧小平の経済改革。これらは中國の国としてのありかたを大きく変えた。

しかしブルース・リーは、世界中の中國人のハートをわしづかみにし、彼らに中國人としてのプライドを与えたのだ。

「ドラゴン怒りの鉄拳」(1972年)で、「東亜病夫(東アジアの病人)」と書かれた額をかち割り、「よく聞け!中國人は病人ではない!」と叫ぶブルース・リーの姿に、世界中のチャイナタウンの映画館で中國人は拍手喝采したのである。

それにしても、くり返し中國人のプライド発揚のダシに使われ、ブルース・リーのパンチバッグとなる同胞日本人の姿には、「ちょっとまってくれ」といいたい。だって、その公園の入り口に「犬と中國人はお断り」と書いたのは、白人どもですぜ...。

まぁ、国家百年の大計を誤ると、こういう結果を生むということであろう。(まるで芸人のようなド派手な着物を着ているな...。)

日露戦争中、仙台に医学生として留学していた後の魯迅こと周樹人クンは、ロシア軍のスパイとして日本軍に銃殺刑に処される中國人のニュース映画を観て、その中に同胞中國人の処刑に喝采を送る中國人の姿を発見し、中國人を救うのは医学ではなく、文学によるその精神の革命が必要だと考えた。

その魯迅の考えを、映画という20世紀を代表するメディアで見事に体現したのがブルース・リーだと、私は思うのだ。

最近、飲食禁止の香港の地下鉄内で、子供にお菓子を食べさせた中國本土人と、それを注意して口論に及んだ地元香港人のニュースが、ネットを騒がせた。

これを中國本土のテレビ番組が取り上げ、北京大学の孔子73代の末を名乗る孔慶東教授が香港人を「狗」とののしり、これがまた香港人の神経を逆撫でしている。

中國人同士でののしり合うその姿を観る時、日中へだてなく「テレビに出る阿呆と、それ観る阿呆...」だなと思うと同時に、「魯迅の想い、いまだ叶わず、か」と思う。

私が大好きなブルース・リーのインタビュー・クリップ。

「水になれ。水をコップに入れれば、水はコップになる。水をボトルに入れれば、水はボトルになる。水をティーポットに入れれば、水はティーポットになる。水は流れもし、打砕けもする。水になるんだ、友よ。」

CNNが去年11月に報じた統計によると、資産価値6千万元(約7億円)以上を持つ中國の富裕層の半数近くが、中國国外へのの移住を望んでおり、その内14%はすでに手続きを開始しているという結果であった。

空のティーポットでは、国が立ちゆかない。

現代中國の正念場はまだまだ続くのである。