リーダー不在のトップレス国家日本 「イーダーシッペ」から始めなさい

常見 陽平

もう、うんざりである。昨晩放送されたNHK『日本新生』の第四回「リーダー」はかなり残念な内容だった。いや、私には評価する資格はない。耐えられず、全部を見ることができなかったからだ。マトモな意見を言ったのは、古市憲寿氏と瀧本哲史氏くらいだった。

リーダー不在のトップレス国家日本について、徒然なるままに書き綴ってみることにする。


■リーダーが育たないのは、リーダーをやらせないからというシンプルな答え
この番組は、告知文の段階で、既に終わっていたように感じる。

「なぜ日本にはリーダーが育たないのか」
「国際社会に通用するリーダーをどう育てるのか」
「スティーブ・ジョブズのような傑出した起業家を生み出すには何が必要か」など、
有識者と市民がスタジオで徹底討論します。

既にさんざん論じられているテーマである。どうやったら改善されるかについて振り切った方がよかっただろう。もっとも、NHKは昔から先進的な論客の発掘には長けていて、気鋭の論客である古市憲寿氏や瀧本哲史氏を起用したことは評価できる。彼らがいなかったら、親父たちの新橋の居酒屋トークで終わっていたことだろう。まさに、絶望の国の幸福な放送局である。

番組中でも触れられているが、リーダーが育たないのは「育てていないから」「リーダーになる機会を与えていないから」「失敗を許容しないから」だろう。

国内外でリーダー育成については何本も論文が発表されている。そこから日本企業は少しでも学んだのだろうか?もちろん一部の日本企業では、次世代リーダー育成のための社内大学や、役員が直々に教える私塾なども存在するし、戦略的抜擢を行なっている。意外にカタそうな企業でも若手人材を大胆にリーダー的ポジションに登用しているのだが。

ただ、それらが主流なわけではない。ただでさえ、厳選採用の就活で疲弊し、その後も社内競争を勝ち抜くためにミスをしないように行動していく。プレイヤーであることと、リーダー、マネジャーのギャップは大きいはずなのだが、ここを橋渡しする施策もない。

最新作『親は知らない就活の鉄則』(朝日新書)でも触れたが、子供の進路について親が二言目には「安定している地方公務員を目指しなさい」というバカ親国家日本に、リーダー育成など無理なのではないかと感じたりもする。

「任せてみる」ことが大事であることも言うまでもない。リクルート流に言うならば「お前ならできる」サントリー風に言うならば「やってみなはれ」という言葉があるわけだが、このような大胆に権限を移譲し分不相応な仕事を任せたいところだ。リーダーに化ける経験がないのだから、育つはずがない。

企業社会においても、政治においても、ちょっとしたミスや失言を誰もが待ち構えていて、全力で潰す。気づけば、首相はAKB48のセンターよりも在任期間が短くなってしまった。もちろん、学級委員のノリで日本国首相になってしまった菅直人をはじめ、「これが日本国首相なのか?」という人物だらけであり、失策も多数ではある。少しだけ擁護するなら「ちゃんと政治をやらせてやれ」と言いたくなることもある。

やや横道にそれたが、ちゃんと育てる、機会を提供する、失敗を許容するということができていないのだ。とはいえ、政治も企業社会も短期の成果を求めざるを得ないのだけれども。

■韓国人留学生はかく語りき「日本人は坂本龍馬を待っている場合じゃない」
立命館アジア太平洋大学(APU)に取材に行ったときのことだ。ご存知の通り、APUでは約半数近くが外国人留学生である。その時に取材した韓国人留学生男性からの意見は、メディアで踊る「日本はもうダメだ、韓国に学べ」論とはまったく逆で興味深かった。

「日本人は、なんて自虐的なのか?」
開口一番、彼はこう語り、母国に対する批判と日本の素晴らしい部分を指摘し始めた。

そしてこう言った。
「日本人は坂本龍馬の登場を待っているように思う。なぜ、自分が坂本龍馬になろうと思わないのか?」

なかなか胸を打つ言葉だった。もちろん、彼の言葉が韓国人の若者を代表しているわけではないのだけど。

いざ強いリーダー、異質なリーダーが出てきたら全力で叩き潰すのが日本社会である。ちょっと目立った政治家、経営者が出てきたら、それはそれで嫌がるわけだ。石原慎太郎や橋下徹などが当選すると、政策などとは別に印象論でジャッジし、叩く。日本に限らず政治とはそういうものなのだけど。

■昭和型リーダー、ジョブズ幻想からの脱却を。いろんなリーダーがいて、いいじゃないか
もう一つ、ツッコミたいことがある。それはリーダー像である。

「○○さんは凄い人だ。だから、みんなも○○さんを目指そう」と煽ったところで、彼ら彼女たちが自分の色を加えていかなければ時代遅れのリーダーが出来上がってしまうわけである。もう、時代は2012年なのだ。

「そもそも、あのリーダーはすごかった」という幻想をなんとかしたい。ここ数ヶ月、Twitterのタイムラインを見ていても、”Stay hungry,Stay foolish”という言葉が連呼され、「スティーブ・ジョブズになれ」「マーク・ザッカーバーグになれ」という話でいっぱいなのだが、果たして日本に彼らは本当に必要なのだろうか?あなたの上司が、明日からスティーブ・ジョブズになったらどうするか、考えてほしい。

そもそも、この手のリーダーが本当に凄いのかも疑ってもらいたい。拙著『「キャリアアップ」のバカヤロー』でもふれたが、これらのリーダーは相当、演出され、よく見せているものである。

様々なリーダーを許容する社会も目指したい。ここで学ぶべきは、毎年テレビで放送されているスーパー戦隊シリーズである。3人~5人のカラフルなヒーロー達が、地球を守るために悪を倒すあのシリーズだ。リーダーはレッドということが多いのだが、歴代作品においてレッドのあり方は実に色々である。熱血漢もいれば、臆病な者もいる。時にぶつかり合いながらも、それぞれの独自のリーダーシップを発揮し、チームワークで悪を倒す。

リーダーシップのあり方はいろいろあっていいし、チームワークも大事なのである。

「日本にはリーダーがいない」ということを盲信するあまり、いま、育ちつつある新しいタイプのリーダーを見落としていないだろうか?

■「イーダーシッペ」から始めよう
よく言われることではあるが、リーダーシップは「言いだしっぺ」であることだと言われる。何か自分が正しいと思ったことをやってみる。それこそがまさにリーダーシップである。リーダーシップ論の基本のキであるが、別にリーダーシップとは、組織を導くことがリーダーシップではない。初期段階においては、自分を導くことも立派なリーダーシップである。何か正しいと思ったことをやってみよう。そんな一歩を大切にしたい。

世の中には2種類の人間しかいない。未来を待つ人間と、創る人間である。未来を創るために、まずイーダーシッペから始めようではないか。

常見陽平