山本太郎さんの一方的な主張をさせたテレ朝の軽さ

2012年01月23日 12:42

報道ステーションサンデーで山本太郎さんがでていたのには驚きました。しかもテレビ朝日はその一方的な主張を許してしまったのです。さらに政治家がそれになんら反論もせず、むしろおもねるような発言をしていたことにはさらに驚かされました。
山本太郎さんご本人が、なんら科学的な根拠もなくとも、自らの思い込みを主張するのは自由ですが、マスコミが山本太郎さんの主張に反論できる人を同時に出さなければ、視聴者をミスリードしてしまいます。


放射能被曝による健康被害について知り得る事実はひとつしかありません。現実問題として、大量の人たちが被曝し、その後に被曝による健康被害のデータを収集できたのは広島・長崎しかありません。チェルノブイリとは比較にならない大量で長期に追跡したデータが残っています。

そこで分かっていることは累積で100ミリシーベルト以上の被曝を受けると、癌の発生率が高まるという事実です。それ以下では、他の原因による発癌に埋もれてしまい、被曝が原因による発癌があったのかどうかはわからない、むしろ被曝していない人よりも、癌発生率は小さかったという皮肉な結果が残っています。それでもそのデータの解釈が甘すぎ、間違っていると主張している人もいますが、そうなるともうお手上げです。

ただ、統計での誤差を考えると、だから低線量の被曝はむしろ健康にいいとも断定することはできないために、低線量被曝のリスクをどう見込むかの考え方の差で異なる基準値を生んできただけのことです。池田信夫教授が端的にまとめられていますが、これは私が伺った専門家のかたの話とも一致しています。
池田信夫 blog : 低線量被曝のリスクについて* – ライブドアブログ :

基準値に対する考え方はさまざまに生まれても、絶対の基準はこうだと断定できる根拠はこの世に存在しません。10マイクロシーべルトが、20マイクロシーベルトになったから危険率が高まるという証拠すらどこにもないのです。そうかもしれないというだけです。しかし逆に、絶対安心、発癌リスクの可能性はゼロ%だと断言することも統計的には説明できません。それがこの問題を、科学から、政治や宗教、あるいはリスクに対する感受性の問題に移す原因となっています。

また藤沢数希さんが紹介されているように、広島では避難どころか多数の人が放射能で汚染された広島に戻ってしまい、被曝したにもかかわらず、広島市民は長寿になったのです。広島市の女性は日本の全政令指定都市の中で一番長生きしているのです。低線量被曝による被害よりも、その後に無料で定期的に診断し、健康をケアしてきたことのほうがよかったということでしょう。
金融日記:放射線のひみつ、中川恵一 :

こういった低線量被曝の問題は、池田信夫教授がしばしば書かれているので、視点を変えると、人為的に決めた低線量被曝の基準値を絶対視し、それを逸脱すると人道的、人間的にも許されないという考え方が生まれ、また少しでも基準値を超えた被曝をすると癌が発生するという非科学的な極端な発言までが一方的に流れる状態が続いているのは、放射線被曝の影響については「科学の空白」ともいえる状況になってしまったからだと感じます。それぞれの感性や考え方が混在する無政府状態です。

原因は、過去の原子力政策、また東電や電事連によって原子力ムラが生まれ、科学者にも研究費を名目に資金が供与されていたことが明らかになり、科学者や研究者の信頼が失われ、権威が失墜してしまったことでしょう。それはそれで大きな問題ですが、そういった原子力ムラとの関係の薄い人であっても、低線量被曝は心配する必要がないといえば叩かれます。すこしでも原子力に理解を示す発言をすると、原子力ムラの都合のいいことばかり言う御用学者と決めつけ、まるで「学者狩り」のようなことすら起こっているのではないかと感じるのです。
だからよほど勇気のある人しか発言を控えるようになったし、マスコミからも敬遠されるようになりました。これも福島第一原発事故がもたらした日本の不幸だと思います。

そういった「科学」の空白を埋めようと、池田信夫教授が率いておられるアゴラ研究所が運営を始められた仮想シンクタンクGEPRは評価したいところです。

起こってしまった事故から懸念される被曝問題は、いやがおうでも日本は向き合わざるをえない問題です。そうだとすると、国民にとっては偏見のない事実を知ることが、もっとも冷静な判断をすることができます。もっとも怖いのはパニックや風説の流布なのです。それによって愚かな行動や二次被害が生まれてくることなのです。

すくなくとも、マスコミは、そのことから逃げてはいけないと思います。事実を公平に伝える義務、あるいは倫理も求められているはずです。もっと低線量被曝の問題については慎重に扱ってもらいたいのです。なにも山本太郎さんを出すなとはいいません。しかし、それに反論する人もあわせて、視聴者にどう考え方が違うのかを示す、なにが基準値の根拠なのかの事実を伝える良心が問われているのだと思います。

もちろん慎重な考え方、あるいはそうでない考え方があってもいいと思うのですが、究極は、国民ひとりひとりの判断に委ねるしかなく、この情報化の時代にあって、少なくとも戦時中に、戦争に異を唱える人を国賊だと決めつけたような間違いは再び犯してはならないのです。

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大西 宏
株式会社ビジネスラボ代表

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