行動経済学は絶望的か?

2012年01月23日 17:28

levine本書Is Behavioral Economics Doomed?(『行動経済学は絶望的か?』)は、Open Book Publishersから刊行予定ということで、まだ正式には出版されていない。しかし、著者のホームページから草稿のすべてがダウンロード可能である。ダウンロードした分量は、本文が175頁、参考文献リストが17頁の計192頁である(なお、タイトルの訳に関しては、代案もあると思うけれども、小幡績氏が過去に「絶望的な行動ファイナンス」というタイトルの書き込みをしていたので、それに合わせた)。

内容は興味深く、著者のレビン(David K. Levine)は経済理論の大家であるが、一般向けに平易(non-technical)に書かれている。
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今般の金融危機を契機に、経済主体がどれほど合理的かに強い疑念が抱かれるようになり、行動経済学が脚光を浴びている。それでは、合理的経済人(homo economicus)は死んだのか? そして、経済学のプロフェッショナルは、人間の真の非合理性を認知する方向に向かっていっているのか? -- 著者は、そんなことは全くないという。

まず最初に問題になるのは、経済学の現代的地平をどのようなものとして理解するかである。というのは、「現代経済学は、それに馴染みのない批判者が想像しているような理論ではない」からである。「現役の経済学者によって用いられている理論は、一般に想像されているよりもはるかに洗練されており、上出来のものである。」それゆえ、本書の最初の部分(第2章)では、著者の考える経済学の現代的地平が手短に解説される。

著者は、「現代の『合理的』経済理論の核心は、ゲームの非協力あるいはナッシュ均衡の概念である」という。非協力ゲーム理論とミクロ経済学の一体化が進んで久しいが、本書の前半はさながら「ゲーム理論入門」といった内容になっている。経済学がどのようなものであって、どのようなものではないかに関する著者の見解は、次のようなものである。

それ(経済学)は、供給曲線と需要曲線の交差に関するものではないし、曲線が「シフト」したら価格がどの方向に動くかに関するものでもない。それは、個別的な、そして他の人々との相互作用における人間行動に関する数量的な理論である。
It is not about the intersection of supply and demand curves, and about what direction prices move if a curve “shifts.” It is a quantitative theory of human behavior both individually and in interaction with other people.

アゴラの過去の記事に対するコメントの中に、経済学の「いろはの『い』である需要曲線と供給曲線による価格決定」といった記述があったが、そのような理解は、少なくとも本書の著者のレビンはしていないようである(古い経済学についてではなく、あくまでも「現代」経済学についての話)。

続いて(第3章で)、経済理論(ナッシュ均衡の概念)がいかに「使える(workする)もの」であるかが主張される。その際に大量の実験経済学の成果が紹介されている。行動経済学と実験経済学を同一視する向きも少なくないが、両者は基本的に別のものである。実験室におけるシミュレーションの結果としてナッシュ均衡が実現することは珍しいことではない。

紹介されている話の中で面白いと思ったのは、完全競争均衡価格が60になる設定の実験で、実験結果として得られた価格は、それよりもやや高い65前後であった。実験を行った研究者は、この結果を標準的経済学の理論が当てはまらない証拠だとして解釈した。

しかし、実験の参加者数は有限である。参加者数が限られている場合には、それぞれの参加者の行動は市場価格になにがしかの影響を与える。このことを考慮すると、理論が予測するのは、完全競争均衡価格ではなく、ナッシュ均衡価格である。果たして、この場合のナッシュ均衡価格は65であった。すなわち、実験室においてはナッシュ均衡が達成されていたのである。被験者は、実験者(研究者)よりも合理的であった。

置かれている状況について正しい情報をもっていなかったり、ルールのもつ意味を十分に理解していない場合には、ある主体の行動は、正確な情報をもち、ルールの含意を十分に理解している場合とは異なったものになり、一見「非合理的」とみえることも少なくない。この意味で、非合理的なのか情報が不足しているだけなのかは、区別して考えられなければならない(第4章)。

こうした議論を経た上で著者は、現代経済理論にも弱みがあることを率直に認める(第5章)。そして、行動経済学にもし意義があるとすれば、現代経済学のそうした弱点を強化することにあるはずだという。しかし、行動経済学の現状は、そのようなものとはなっていないというのが、著者の批判の眼目である。行動経済学が、それほど役に立つものではないという具体的な批判は、第6章と第7章の2つの章を使って行われている。

例えば、期待効用理論には、アレのパラドックスが示すような難点がある。そして、プロスペクト理論は、そうした難点をもつ期待効用理論を置き換えるものとして考案された。しかし、期待効用理論に対するものと同等程度の厳密なチェックをプロスペクト理論に加えると、同理論についても深刻なパラドックスが見つかるようになっている。そのために、プロスペクト理論の方が期待効用理論よりも優れていると言えるような状況ではない。

現状の行動経済学よりも、学習理論といった試みの方が現代経済学の弱点を克服することにつながる可能性が高いのではないかという議論(第8章)の後、第9章で以下のような結論が述べられている。

心理学者と経済学者の決定的な違いは、心理学者が個人の行動に関心を持っているのに対して、経済学者は、相互作用し合う人々の集団の結末について説明することに関心を持っているというところにある。
The key difference between psychologists and economists is that psychologists are interested in individual behavior while economists are interested in explaining the results of groups of people interacting.

そして、「個人の行動について説明できたならば、それを直ちに集団にも適用できると考えること」というのは、「間違った考え」にすぎない。「個人の行動が集団全体に及ぼす帰結を理解するためには、ゲーム理論的及びそれに関連したモデルを用いることが必要になる」。それゆえ、心理学の成果をそのまま持ち込んだようなものに行動経済学がとどまっているならば、経済学者にとってそれはほとんど役に立つものではあり得ない。

上記の結論と同じ趣旨のことは、評者もかつて述べたことがあり、全面的に賛成である。まあ、現代経済学を批判するのもいいが、現代経済学が何かとその目的が何かを分かった上でしてほしいというのが、著者レビンの思いであろう。

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池尾 和人@kazikeo

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