その日暮らしから我々は抜け出せるのか?

2012年01月24日 12:48

最近の日本の政治、ユーロ危機、また気候変動を巡るCOP-FCCC(Framework Convention on Climate Change)などを見ていると、人間の愚かさに絶望を感じざるを得ない。

自己利益の最大化といった自然な行動、特に短期的な利益の追求が、今日の経済危機を引き起こしていることに、誰も異論はないだろう。 これは資本主義自由経済の本質的欠陥ともいえるが、これを是正するのが政治であるはずだ。 


ところが、我々は、我々自身の内部の欲望から少しも開放されていない。それどころか、ますます長期的な視点を失いつつあるように思われる。 インスタントに手に入る情報に我々は、ますます影響され易くなっている。 

これは福島第一原発の事故後の、放射線に対する過剰な反応、それを煽る人たちの馬鹿騒ぎを見ても分かる。 最早、国民は冷静にものを考えることを止めてしまったようだ。 客観的に見て我々は馬鹿になっているのではないか。

そして皆がてんでんばらばらに利益追求に走れば、どういうことになるのか、という縮図が、今の日本の政治のエッセンスであり、こういった国内の状況は、世界に延長して考えても大して変わらないだろうということだ。 人間の本質は少しも原始時代から変わっていない、つまりその日暮らししかできない、ということだ。 

今、「金利が低いから大丈夫、日本国債の信用は高過ぎるのだから、お札を刷ってばら撒き少し信用を落した方が、円安になってよい」といったクレージーな意見が一部で語られるのも、本質的に遠くのもの、大き過ぎるものは見えないという、人間がいつまで経っても超えられない所謂「バカの壁」があることを示している。そういえば震災直後に、全国で巨大な防災のための公共事業を行うべきと主張している大学教授がいた。

これを世界に延長すれば、耕作面積が増えていないのに、人口を増やし続ける人類、少ない資源の奪い合い、IPCCの気候変動の予測を見ても「気温が数℃上がったぐらいで人類が滅亡することはない」といった甘い幻想に浸る人たち、全てがその日暮らしという人類の愚かさに直結しているのだ。

ここまで人間が愚かなのなら、「この際、法定制限年齢を設けて、老人の居ない国にする」、「世界政府が、世界の人々の死亡率を各人に埋め込んだマイクロチップを通じてコントロールして人口を最適に保つ」といったクレージーなことでもしない限り、問題は解決しないのかもしれないとさえ思う今日この頃である。

上の話は冗談だが、真面目な話、世の中に貢献していない70歳以上の老人の選挙権を制限するというくらいはした方がよいのではないか。 
 

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