財政破綻議論の3つの誤り

小幡 績

小黒氏の記事が出た。

非常にシンプルでわかりやすい。日頃、あまりに誠実で、理論に忠実で、細部もきっちり押さえる彼としては(要は私の対極だ)、いろいろ我慢して、わかりやすく、シンプルに書いている。読むべき記事と思う。

唯一問題なのは、この議論は正しいが意味が無いということだ。


小黒氏の記事に誤りは無い。確率的に独立事象でないのは当然だが、彼は背後でそのケースもチェックしている。

そういう問題でなく、もっと根源的な誤りが、財政破綻の議論には存在するのだ。

その最大のものは、GDPとの比率で考えることだ。それは財政破綻の可能性を考える上では何の意味も無い。

ギリシャが、政府債務額がGDPとの比率で見れば100%ちょっとで、日本の半分近い。それなのに、日本はまだ無事で、ギリシャは完全な財政破綻をしたことは有名だ。それはなぜかという議論になると、民間経済の状態、経常収支の問題、名目金利やインフレ率などが理由として挙げられるが、ここでは、そういうことではなく、債務残高の対GDP比というのは何の意味も無い、ということが重要だ。

ここには、2つの誤りが含まれているが、一つ目の対GDP比で考える、という考え方が誤っていることについて考えよう。

なぜ政府の赤字をGDPとの比率で考えないと行けないのだろうか?

そんなの当たり前だ、と、経済学者もメディアエコノミストもいうだろう。個人だって、借金がどれだけあるかは、収入や資産との比率で考えないと、重いかどうかわからない。あほか。ということだろう。

あほか。

個人と国は違う。

実は、これが政府財政破綻の議論の最大の誤りなのだ。

家計にたとえると、年収600万円のお父さんが、お母さんに借金してるので。。。。。というあほみたいな議論をメディアも、果ては財務相自身までやっている。まあ彼らはあほで幼稚だから構わないが、経済学者の先生方まで、そんな幼稚園児みたいな議論するのは、どういうことか。いや、経済学者と比べるなんて、幼稚園児に失礼だった。

もったいぶった議論するのも面倒になってきたので、端的に結論だけ述べよう。

3つの誤りとは

1.GDP比で考えることは意味が無い
2.個人と国とは違う
3.借金の総額は何の意味も無い。

ということだ。

1の理由は、GDP比を考えるのは、結局、経済全体の基礎体力がどのくらいあるのか、ということで、政府の赤字という負担にその経済が耐えられるかどうかの指標である。もちろん1兆ドルの借金がギリシャと日本に与える影響は違うから、その経済のサイズも議論する際には考慮に入れないといけないのは当然だ。

しかし、財政破綻、ということになると、GDP比は何の意味も持たない。その経済が産みだした付加価値を、すべて借金に回せるとは限らないからだ。ギリシャのように実質破綻が確定した後も、政治的には、財政再建策が打てないでいる。それが財政破綻前であれば、なおさらのことである。だから、日本はGDPという水準では力があるが、それが財政破綻懸念が高まった時には何の意味も持たないということである。

増税余地という点でも同じだ。日本は見かけ上は増税余地がかなりある。経済的にも消費税増税は5%程度なら、経済全体を崩壊させるモノにはならないだろう。しかし、できない。一方、欧州各国は20%以上となっている消費税をさらに数%上げようとしている。経済はもう終わってしまうかどうかの瀬戸際にもかかわらずだ。これは政治家サイドあるいは有権者サイド、どちらが悪いのかわからないし、それはここではどちらでも好いが、いずれにせよ、日本は増税をする政治力はないから、増税は出来ない。だから理論的に余地があろうが、破綻するときはする。増税できず、国債の増発を続けることにより、破綻懸念は高まっていくだろう。

したがって、GDP比で借金の総額を考えること、単年度の赤字を考えることは何の意味も無い。

意味があるのは、国債を買う意欲がある投資家がどの程度残っているか、ということだ。個人金融資産が1400兆あろうが2000兆あろうが、関係ない。彼らが、あるいは彼らが預金した銀行、郵貯が買う気を継続させるかどうか、ということだけだ。

したがって、GDPも、個人金融資産総額も関係ない。その場の金融市場での国債への買いフローだけが問題なのだ。

2は、当然だ。国は政府のモノではないのだ。1で述べたように、だから、増税余地が民間経済活力から存在していても、財政破綻するかどうかとは関係ない。破綻後、IMFが仮に日本を支配するということがおきれば、その場合はIMFにとっては日本経済が健全であるかどうかは重要であるが、財政破綻するかどうかに関しては関係ない。だから、国全体の余力と、政府の財政余地とは異なる。個人の場合は、最後は、すべてを借金返済に充てることはあり得る。国ではあり得ない。自明ではない、ということだ。戦争と同じで、国民が総力を挙げて参加するか、やる気がなく、軍人だけに任せておくか、それは大きな違いだ。しかし、どうせ負けるなら、後者の方が望ましい、というのも、財政破綻議論と似ている。

3は、これまで述べたことと同じだ。これまでの借金がいくらであれ、今年、あるいは次の入札で、買い手が登場するかどうかだけが重要だ。総額は、確かにこれに間接的に影響を与える。残額が多ければ、借り換えニーズは大量となるから、供給が増え、多くの需要が必要となる。しかし、この点で重要なのは、名目金利とインフレ率だ。

実は、リフレの最大の誤りは、リフレで政府の借金を実質減らせ、というが、1%から3%に名目金利が上昇すると、実質の借金額が減る前に、借り換えニーズ、利払いニーズによる借金の増加がきつくなってくるのだ。そして、銀行保有分は損失になる(貸しては国内だから、実質借金額の減少は実質債権額の減少なので、少なくともプラマイゼロ、政府よりも金融市場が民間経済にとって重要だとすると、それは自殺行為なのだ)。

リフレはもうどうでもいいが、名目金利が低いことが破綻を先延ばししている最大の要因なので、インフレ率が少し上がるとすぐにいろんなことがおきる。

それに比べれば、今の借金総額の水準は2次のオーダーの重要性であり、直接は関係ない。

したがって、国債を誰が買い続けてくれるのか。それだけが財政破綻においては重要なのだ。