途上国の低賃金は放置すべきか --- 杉井 英昭

2012年02月18日 16:46

◆「日本の製造業危機」問題について議論がかみ合っていない原因。

2月18日のNHK『ニュース深読み』で「日本の製造業危機」の問題を取り上げていて、経済学者の野口悠紀雄氏とエコノミストの藻谷浩介氏が、議論をされていました。

お二人の主張は対照的です(以下の要約は本論に必要な限度に単純化したものです)。


野口氏の主張は、日本の製造業が危機にあるのは、企画開発からサービスまでを全て自社グループで行おうとする「自前主義」にその原因があり、グローバル化した経済社会で生き残るには、外国人を雇って人件費を抑えることで、価格競争で劣位に立たないようにすることが必要である、というものでした。

そのやり方では、日本企業がたとえ利益を取り戻したとしても、日本人の雇用は維持できないという批判に対しては、日本経済が再び活気を取り戻して全体のパイが増えれば、日本人も雇うことができるようになる、と応えます。

他方、藻谷氏の主張は、農業に活路を見出すべきであり、大規模農業を行うことが、雇用につながる(その実例として、秋田県大潟村)というものです。

結局、外国人を雇うことになって日本人の雇用維持には役立たないのではないかという疑問に対しては、そもそも企業が人件費を削減しようとするのは、それをしないと利益が出ないからであり、スイスの時計産業のように、農業の場合も、外国との競争で買い叩かれるという状況を生じさせずに売上高を上げれば、外国人を雇う必要はなく、日本人の雇用を維持できる、と応えます。

さて、上記お二人の議論については、両者とも筋が通っている感じはあるのだけれど、それ以前に議論がかみ合っていないなと思いました。

これは、「製造業危機を乗り越える」ということの意味についての前提が異なるからではないかと思うわけです。

野口氏の主張は、「経済全体を活性化させ雇用のパイを増やす」ということを目的とするのに対し、藻谷氏の主張は、「現在の雇用を維持する」ということに主眼があります。後者は、いわば、日本経済全体の話はどうでもよくて(とまでは言わないでしょうが)、個々人の現在の生活の保護こそが大事だというわけです。

これに対しては、「それはわかるけれども、日本経済全体が縮小すれば、結局、個々人の生活もダメになってしまう」という批判が呈されるわけですし、真っ当な批判であります。

結局のところ、どちらの主張が絶対的に正しいというものではなく、既得権(=現在の雇用)をどれだけ保護すべきか、さらには、経済は何のためにあるか、といった点についての思想的前提が共有されていないことが齟齬の原因のように思えます。

これに加えて、ここで問題にしておきたいのは、そもそも外国人の賃金コストが安いという事実をどう考えるかという話です。

国家間の賃金・生活水準の差異については、「そういうものだ」とか「仕方ない」とかで済ませられたり、そもそも無自覚であったりすることが少なくない気がします。

これは、いわゆる「国家間正義」として論じられる問題であり、例えば、「世界の全ての人々が全く同一の生活水準になることは可能か/すべきか」という問題設定です。「可能か」と問われれば、「可能だ」と答えられますが、より難しい問題は「すべきか」という点ではないかと思いますし、経済論議で意識すべきは、そちらではないかと思います。

難しい問題であって、ここで答えを出そうという性格のものではありませんが、ともかくも、まずその問題意識を常に持っておくべきだと思います。

製造業危機を乗り越えるために外国人を雇う方がよい、という話は、賃金が圧倒的に安い外国人が存在することが前提になっているわけですが、そもそもその前提自体を疑う必要はないのか、という問題意識です(これは事実を疑うのではなく、当為の問題です)。

賃金コストの国家間差異について、「差異がないことが望ましいけれども、それを実現しようとすると望ましくないことが起きてしまうので、次善の策として正当化される」と考えるのか、あるいは、「同一であることを目指す必要はない」と考えるのか、は大きな違いです。現在の状況について、前者は「仕方ない」と考え、後者は「問題なし」と考えているわけですが、両者を区別しない状態での議論は少なくない気がします。

随分と大きな話になりましたが、経済政策論議においては、以上のように、例えば「どれだけ既得権を保護すべきか」「国家間の賃金コストの差異についてどう考えるか」という点について、その前提となる正義構想に差異があるにもかかわらず、それが捨象されたまま議論されることが時々あるように思われ、それが原因で議論に齟齬が生じていることがあるので、専門家の方には、そうした基礎的な問題への意識を払いながら議論して頂きたいと思う次第であります(少なくとも、数多ある正義構想のうち、自らがいかなる哲学的基礎に立っているかを意識した上での議論をするのがよい、ということです)。

杉井 英昭
法科大学院生

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