無意識化の共感を誘う、芸術的なコンテンツ―@toriaezutorisan

村井 愛子

お笑いグループ「ラーメンズ」の小林賢太郎さんのソロ舞台を観にいってきました。小林賢太郎さんの舞台は、しばしばシュールという言葉で表現されますが、10年くらい前に「爆笑お笑いオンエアバトル」というNHKで放送していた若手お笑いによる深夜のネタ見せ番組にちょくちょく出演していました。その年間チャンピオンを決める特番にて、故立川談志さんが審査員特別賞をラーメンズに進呈していました。10年以上も前なのでウロ覚えですが、そこで立川談志さんは「誰もが知っている常識を共感の道具として持ってくることは簡単なのだけど、ラーメンズは人間の無意識化のところで共感を作りだしている」みたいなことをおっしゃっていました。


例えば、よくお笑いで時事ネタ漫談をされる方がいますが、時事ネタは万人が共通項になっている「常識」なので、既に情報としては共有されている下地があるわけです。それを少し工夫すれば、笑いや感動という感情を生み出すことが出来ます。

しかし、俗にシュールと表現される表現者の演目は、そもそも演目の素材自体が万人の共通項になっていないため、知識としての共通事項が0の状態から「共感」状態を作り出さなくてはいけないわけです。おそらく、立川談志さんは、こういうことを言っていたのだと思います。

現在流通しているコンテンツを見ると、共通項になっている「常識」で成立しているコンテンツが多いようです。たとえば映画やドラマだったら「原作モノありきで実写化」(=原作はすでに共通項)、お笑いであれば流行りのギャグやキャラクターを作る(=ギャグやキャラクターという共通項を使いまわす)など、0からコンテクストや物語を立ち上げて無意識化の共感を得るコンテンツよりは、既存の「常識」を流用して2次、3次利用するコンテンツが多くなっているような気がします。

こういう現象の陰には、「マーケティング」の存在が一役買っていると思います。マーケティングでは、「どの顧客セグメントが最大利益を出せるか」という命題によって市場を選定するため、顧客セグメントの最大数を求めようとすると、既存の顧客セグメントに支持されるコンテンツの2次3次利用の方が効率が良いからです。マーケティングによる既存市場からの顧客セグメントは毎回80点の結果が出せます。しかし、0から立ち上げたアーティスティックなコンテンツはマイナス100点の可能性もあるし、1000点に化ける可能性もあります。そもそも前提数値による解析など出来るはずもないので、マーケティングが存在する余地がありません。

一方で、人々はこういった2次3次利用コンテンツに疲弊しているのも確かなのではないかと思います。「家政婦のミタ」が40%以上の視聴率を叩き出したり、前述の小林賢太郎さんがテレビ露出がないにもかかわらず、手がける舞台が盛況なのはどこかで人々が「無意識化の共感」というコンテンツを求めているように思えてなりません。

村井愛子 @toriaezutorisan