「坂本龍馬」では日本は変えられない

池田 信夫

島田裕巳さんのコメントに共感したので、ちょっと補足します。きのうの記事でも書いたように、大阪維新の会の政策の中身はお粗末ですが、「船中八策」という包装紙もいただけない。これはウィキペディアにも書かれているように「原文書も写本も現存せず、詳しい成立過程も全く不明」で、坂本龍馬が書いたかどうかも疑わしい。


そもそも龍馬は普通の近代史には登場しないマイナーな人物で、島田さんもいうように司馬遼太郎のつくった小説の主人公です。司馬の編集者だった半藤一利氏は、こう書いています。

『竜馬がゆく』に、大政奉還という手段を龍馬が「とっさにひらめいた」と書いてあります。読みながら「嘘つけ」と思っていたのですが、司馬さんは作り話の上手な人で、いったんそう書いておいて、十頁ほど先に「どなたの創見です」と問われた龍馬に「の字との字さ」と答えさせているんですね。この案が大久保一翁と勝海舟であることをそれとなく書き込んでいるわけです。(『幕末史』p.134)

龍馬は理想だけを唱えて志なかばで斃れたので、ヒーローとして描きやすい。大久保や勝のように実際に明治維新を実行した人々は、理想を実現する過程で「手を汚す」ので、龍馬のような純粋なヒーローにはならない。しかし変革を実現するのは、そういう「不純」な人々なのです。この点を櫻田淳氏は、次のようにコメントしています。

橋下ブレーンとして名前が挙がっている面々は、何故か、学者・知識人という肩書を持っていても、「元官僚」である。しかも、彼らは、せいぜいが佐官級で「霞が関」を去った人々である。そして、彼らの多くは、龍馬よろしく「脱藩官僚」と称している。だが、明治維新を成就させたのは、大久保利通や西郷隆盛の後盾になった小松帯刀にせよ木戸孝允にせよ、「脱藩しなかった高級藩士」である。彼らが、藩主を説得して藩兵を差配できるようにしたが故の維新の成就である。

もともと徳川幕府には日本の支配者としての正統性はなく、最大の領地(といっても全国の1/4)をもつ藩主に過ぎなかった。それに対して経済力をつけた薩長などの藩主が「こっちに権力をよこせ」と起こした宮廷クーデタが明治維新です。現代でいえば、財務省に対して経産省や総務省などが反乱を起こして予算編成権を奪うようなもので、龍馬のような脱藩藩士は戦力にならない。

民主党も勘違いしていますが、日本の国家権力のコアは国会ではなく霞ヶ関なのです。2009年の政権交代は、幕末でいえば京都御所を占拠したようなもので、「政治主導」で政策立案をしようとしても、御所(国会)には権力も資金も情報もないので、各藩(省庁)は動かず、すぐに行き詰まってしまった。

官僚機構を動かすには、官庁のインサイダーを動かさないとだめです。といっても今の各省庁の幹部はタコツボ化しているので、彼らを巻き込むことは困難でしょう。審議官以上の指定職はすべて政治任用にするぐらいのことをやらないと、何も変わらない。日本に必要なのは、龍馬ではなく大久保利通や勝海舟なのです。