シーシェパードの暴力との訣別法=鯨の家畜化

2012年03月19日 09:00

最近メディアでの論争が少なくなっていますが、捕鯨に対する世界の目は日本に対して決してあたたかいものではありません。以前、ミラノの自分の事務所で翻訳の仕事を頼んだ日本語ぺらぺらの外国人女性に「ノルウェーの捕鯨は文化だから許せるが、日本の捕鯨はそうじゃない。野蛮なだけだ」と言われたことがあります。彼女は日本語習得のために日本に住んだことがあり、その間に捕鯨についての情報を得たということでしたが、無知と人種差別感情が丸出しなだけの呆れたコメントに、僕は少し大げさに言えば、殺意に近いほどの怒りを覚えたことを白状します。


あれから随分時間が経ちましたが、鯨を捕らえてその肉を食べる日本人を疎ましく思う人々が世界には依然として多くいます。それに反発して、鯨肉と牛肉のどこが違う?とか、豚は殺してもいいが鯨を殺すなというのは偽善であり言いがかりだ、などと主張する人々もまた少なからずいます。しかしそうした議論や反論には、僕はいつも違和感を覚えます、

人間が生きるとは殺すことです。われわれは人間以外の多くの生物を殺して食べ、そのおかげで生きています。肉や魚を食べない菜食主義者の人々でさえ、植物という生物を殺して食べていることに変りはありません。

もしもそれが悪であり犯罪であるなら、われわれ人間は一人残らず悪人であり罪人です。乳飲み子でさえそうです。なぜなら赤子は、生物を食べて生きる母親が与える母乳を頼りに生存しています。従って人類は、シーシェパードの活動家も、鯨肉大好き人間も赤子も、誰も彼もが皆悪人であり罪人である、という同じ土俵に立っています。

つまり何かを殺して食べること自体を否定したり非難したりするのは無意味です。シーシェパードの活動家が鯨肉を食う者を非難するのも、またこれに反論して牛肉食いや豚肉食いをあれこれ言うのも同じく意味がありません。われわれは誰もが悪く、あるいは誰もがちっとも悪くないのです。人間は皆等しく他の生命を糧に生きている生命であるだけです。

そうして見ると、シーシェパードなどが非難しているのは、食べる行為よりも殺す行為であるらしいことが分かります―彼らがそのことを意識しているかどうかは定かではありませんが―。しかも殺す対象が野生の生物であることを彼らは問題にしているようです。だから絶滅危惧種かもしれない野生の鯨を殺すのは悪で、生育可能な家畜である牛や豚を殺すのは構わない、という理屈なのでしょう。

ならば、シーシェパードをはじめとする反捕鯨論者を論駁し、黙らせる方法が一つだけあります。言うまでもなく、鯨を養殖する、つまり家畜化してしまうことです。子鯨を捕らえて育てる蓄養ではなく、人工的に育てた鯨に子供を生ませてこれを食用として育てる、完全養殖ならぬ完全家畜化です。

鯨を人工的に繁殖させて食肉として利用すれば、それは牛や豚と同じになって野生の絶滅危惧種とは言えなくなり、シーシェパードなどが環境保護を主な拠り所に捕鯨船を攻撃したり、日本人を批判する理由がなくなります。

しかし

さて、鯨の完全家畜化に成功して大手を振って鯨肉を食べられるようになったとします。実はそれでもシーシェパード率いる反捕鯨論者たちの日本批判や攻撃は止むことはありません。なぜなら彼らは、環境保護や動物愛護の精神から捕鯨に反対していると同時に、彼らの好き嫌いの感情に従って反捕鯨を叫んでいる可能性が高いからです。

つまり、愛犬家が犬肉を食べる者を憎むように、鯨が大好きな彼らは鯨を殺すな、食べるなと叫んでいる可能性がある。嗜好は言うまでもなく主観的なものです。従って彼らを黙らせるのは多分不可能に近い。しかし、だからこそ日本は、鯨を養殖し完全家畜化することで、環境破壊はやっていないとはっきりと主張するべきです。それでも彼らが非難を続けるなら、その時こそ「鯨と同じ家畜である牛や豚を殺すあなたたちとわれわれのどこが違うのか」と反論すればいいのです。

え?そうは言っても、鯨の完全養殖や家畜化はコストがかかり過ぎるですって?

ならばコストパフォーマンスに見合うだけの顧客を世界中に求めればいいだけの話です。当たり前の企業努力ですね。しかし、そうなれば鯨肉好きな日本人へのバッシングがさらに熾烈になるでしょう。鯨肉を商品にしたい皆さんはそれを覚悟で前進しなければなりません。もしそれがいやなら、いっそのこと「鯨は食べません」と世界中に宣言してしまえば済むことです。

そうなのです。捕鯨問題を解決する最善の道は、もう捕鯨なんてやめた、と世界に向かって表明してしまうことです。捕鯨は割に合いません。捕鯨はかつて日本人が生きていくために必要不可欠なものでした。しかし今は事情が違います。豊かな日本は捕鯨が、つまり鯨肉がなくてももはや飢えることはない。だから絶滅が危惧される鯨をあえて殺す必要はありません。またたとえ鯨は絶滅危惧種ではないとしても、世界中の多くの人々が嫌悪感を抱く捕鯨や鯨肉食を続けるのは、われわれにとって少しも良いことではないと思うのです。

捕鯨は日本の伝統であり、鯨を食べることは日本の重要な食文化の一つであることは疑う余地がありません。しかし時代は変ったのです。残念ながらそれらは、時代変化とともに伝統ではなく、グローバル社会の中で「因習」と見なされるものになってしまった可能性が高い。それは好むと好まざるとに関わらず、時代が進み世界が狭くなって、日本が国際社会の中に投げ出された時点で必然的に起こったことです。仕方のないことです。

日本がいま捕鯨を完全にやめた場合、捕鯨を生業にしたり、そこから派生する仕事で生活を支えている人々が困窮するという問題はあるでしょう。が、わが国は国際社会から鯨を保護し環境に配慮するように求められている先進国の一員です。その地位に相応しく捕鯨を全面禁止にして、それによって職を失う人々を国の責任で救済するなどの処置を取るべき時が、もうそろそろ来ているのではないでしょうか。

仲宗根雅則
テレビ屋
イタリア在住

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