原発再稼働に関しては橋本市長の主張のほうが正しく見える

大西 宏

枝野経済産業省が福井県の西川知事を訪ね、大飯原発3,4号機の再稼働への理解を求めたのに対し、「妥当性については県の原子力安全専門委員会でチェックを加えていきたい」と知事が保留したことはこの状況では当然の流れでしょう。
しかし、どうも原発再稼働にむけての政府の動きは、原子力ムラや経産省に取り込まれてしまっているという印象を受けてしまいます。再稼働へ向けた手続きの順序が違うのです。橋下市長が本気で再稼働反対なのかどうか、またその姿勢が独特の政治手法なのかは不明ですが、この点についは橋下市長の主張のほうが正しいように感じます。


原発を再稼働させないことは、日本の経済にとっては確実にマイナスになってきます。産業活動の制約になるばかりか、コスト増になり、すぐさま再生可能エネルギーによる発電で代替することはできないので、エネルギー輸入に頼らざるをえなく、貿易赤字の大きな要因を抱えたままにります。
また電力会社はコストを安易に価格に転嫁できるために、天然ガスも、実際には先物価格が前年の4割から半値に下がっているにもかかわらず、長期契約の高い価格で購入しているために、いまのままでは電力価格の値上げにつながってきます
東電の値上げの根拠と読売社説には呆れはてた : アゴラ –

たとえ電気代が上がり、それが企業や家庭にダメージを与えても、また経済が再生、成長するよりも、原発の事故リスクを避けることのほうを優先すべきという考え方もあるでしょうが、しかし経済停滞がさらに続くことは、また別の大きなリスクを抱えることになります。現代はつねにすべてを満足させる理想的な解決方法はなく、あちらを立てれば、こちらが立たずのトレードオフの課題にどう対処するかの時代だという典型的な問題です。

もし、政府が一基も再稼働させないという原発反対派の「脱原発」ではなく、緩やかな「脱原発依存」路線をとろうとしているのであるのなら、原発再稼働にむけては、ふたつの障害を乗り越える必要があります。

ひとつの障害は、福島第一原発事故による影響の甚大さを見せつけられ、国民のなかには原発の安全性への不安が高まっています。その不安を軽減する納得をつくれるのかです。もうひとつの障害は、これまでの原子力行政のあり方、また電力会社への国民の強い不信感が錯綜していることです。つまり原発そのものが安全かという問題と、政府や電力会社が信頼できないという問題をクリアする必要があるということです。

ふたつの障害がありますが、原子力行政のあり方、また電力会社の体質が変わったという国民の納得がなければ、いくらストレステストで安全が確認されたと言っても、また今後の対策への工程表が示されたと言っても、原発そのものの安全性への不安や不信感も払拭されることはありません。まず信頼を回復すべきは原発施設というより、政府そのものの信頼だということです。
原子力行政の大きな転換が見えないままに、いきなり政府決定で強行突破しようとしているに等しいのです。

橋下市長が、「脱原発」を強く主張し、民主党政権を批判し、そのボルテージが上がっていますが、その真意が原発再稼働になにがなんでも反対なのか、再稼働にむけた手続きや統治がなっていないことへの批判なのかのどちらに重心が置かれているのかはわかりかねます。
ただ電力不足の場合への保留条件が示されていることを考えると、国民の理解を得る政治としては、手続きや統治のありかたのほうを問う橋下流のほうが、戦略的には正しいのではないかとも感じます。
逆説的に見れば、民主党政権のほうが拙速的に進めることで再稼働を潰そうとしていて、橋下市長のほうが現実的な再稼働の道を示しているのではないかとすら感じてしまいます。

エネルギー問題への正論だけでは、国民の不信感が払拭できるとは思えないからです。グロービスの堀さんが「国家戦略として総合的・体系的・整合的に推進するには、国(政策当局)、民間(事業者)、地方自治体、国民など緊密に連携を図ることが不可欠である」と主張されていることは間違っていませんが、まずは政府への信頼回復、原子力行政の改革がなければそれも実現しません。
日本のビジョン「100の行動」: 7.エネルギー政策 【経産1】 | グロービス代表 堀 義人ブログ :

理屈の正しさより、どのようにそれを解決するのかのほうがはるかに重要な問題になってきているのではないでしょうか。「信頼」なくして「原発」はなしです。