日本は法治国家なのか

池田 信夫

大飯原発の再稼働をめぐって混乱が続いている。政府は再稼働を認めようとしたが、地元の反発にうろたえてまた説明会を開き、かえって混乱が拡大した。大阪市の橋下市長は「手続きが間違っている」というが、手続き論をいうなら、そもそも1年前に菅首相が浜岡原発を止めた「要請」に法的根拠がない。それは「原発を止める命令を出す法律がないからだ」と菅氏は説明したが、これは嘘である。


電気事業法第40条には「経済産業大臣は、事業用電気工作物が前条第一項の経済産業省令で定める技術基準に適合していないと認めるときは[・・・]その使用を一時停止すべきことを命じ、又はその使用を制限することができる」という規定があるので、経産相が技術適合命令を出せば運転を止めることができる。浜岡を電気事業法にもとづいて止められなかったのは、政府が技術基準に適合していないことを証明できなかったからだ。つまり法的に止める理由がないのに、違法に止めたのである。

その後も定期検査が終わった他の原発の再稼働を政府は許可せず、法的根拠のない「ストレステスト」の合格を条件にした。これもヨーロッパでは運転と並行して行なわれている参考のためのシミュレーションであり、運転の可否を決める基準ではない。スリーマイル島でもチェルノブイリでも、事故を起こした原子炉以外は止めなかった。政府の定めた技術基準に違反していないのに裁量的に運転を禁止することは、電気事業法違反である。電力会社が行政訴訟を起こせば、政府が負けるだろう。

その後、大阪市の出した8条件や京都・滋賀の知事の出した7条件なども、何の法的根拠もない思いつきだ。再稼働を延期することは関西電力に数千億円の損害を与え、それは(総括原価主義では)最終的には利用者の負担になる。「地元理解」などの感情論を基準にしていたら、いつまでも再稼働できない。政府は「再稼働する原発の安全を証明する責任」があるのではなく、再稼働を止めている原発が安全ではない(技術基準に適合していない)ことを証明する責任があるのだ。

そもそも今回の再稼働中止は、閣議決定さえ経ていない菅氏の「個人的見解」から始まったものであり、その後の再稼働禁止も閣僚会合などの曖昧な手続きによる行政指導だ。法的根拠なしに民間企業に数兆円の損害を与えることは私有財産権の侵害である。事故の直後は緊急避難としてしょうがないとしても、その後1年もこの問題について国会で審議せず、閣議にもはからないのは法治国家とはいえない。

かつて川島武宜は『日本人の法意識』で、明治以来100年たっても日本人は法の支配を理解していないと嘆いた。明治時代にできた壮大な法典は不平等条約を改正するために「日本も文明国だ」と見せるための飾りで、「鹿鳴館のようなものだった」と川島はいう。すべてを人間関係で解決する日本の社会では、非人格的なルールが人間を支配するという考え方が、いまだに政治家にも理解されていない。法的根拠のない「お上」の指導に電力会社が従う日本は、まだ鹿鳴館時代ということか。