「マス」無き後、若者はどう生きるべきか?

山口 巌

村井氏のアゴラ記事、マスマーケティングの崩壊と、新しいマーケティングを拝読。確かに、今、我々が「マス」と捕えているものはレガシーとしての「マス」に過ぎず、戦後、我々が慣れ親しんで来た「マス」は既に消失したに違いない。


しっかりと考えるべきは、「マス」無き後、国内産業が向かうべき潮流であったり、その潮流を必然と理解した上での若者の働き方、更には、生き方と言う事になる。

この春は、家電各社が空前の赤字決算を発表した事から、家電業界の将来が不安視されている。

問題は、何故この業界がかかる重篤な事態に陥ったかである。

「マス」が消失したにも拘わらず、相変わらず戦後松下幸之助氏が成功した、「大量消費」を前提とする、「大量生産」を踏襲しているからであると思う。

冷蔵庫一つ取っても、日本の主婦が欲しいと思う製品は、「色」、「デザイン」、「容量」、「性能」すべてまちまちである。

とは言え、家電量販店をあちこち見て回っても、結局ピント来る商品に出会う事はない。

欲しい商品が無ければ、より廉価な商品に向かうのは当然であり、日本メーカーが韓国や中国のメーカーに駆逐されるのは当然の結果である。

パナソニックの如く、海外移転により生き残りを図るのは当然である。インサイトでの勝負を諦めるのであれば、価格競争力を付けるしかない。

家電製造業に職を得ようとする若者は、入社数年後、中国、ベトナム或いはミャンマーと言った新興産業国で働く事を覚悟せねばならない。そして、そういった地域で活躍可能な人間にならねばならない。

海外移転が不可能な、「マスコミ」関連企業はどうなるのであろうか?

テレビ業界は、外から見れば一見華やかな様相である。

しかしながら、実態は「マス」無き時代の「視聴率乞食」に過ぎない。

視聴率を取る為には、先ず人工的に「マス」を作らねばならない。

「小沢vs反小沢」で人工的に国民の憎悪、怨嗟を醸造し、「マス」を創造する。

「放射能汚染の恐怖」を煽りに煽り、「マス」を創造する。

3月のアゴラ記事、古館キャスターが辞任すれば本当に「報道ステーション」は良くなるのか? で説明した通り、「報道番組」と言う名の「報道バラエティー」が当然の如くまかり通っている。

テレビの将来に就いて言えば、誠に以て暗いと言わざるを得ない。

根底にあるのは、視聴者個々のインサイト開拓努力の不在と、マスの捏造である。

テレビを観る若者等皆無と言う時代が、すぐそこに来ている。

出版の状況は更に重篤である。

「自己啓発」関連の本が次々と出版され、それなりに耳目を集めた事は記憶に新しい。

しかしながら、少し冷静になって考えれば明らかであるが、人間は十人十色、それぞれ、能力、性格、やりたい事が異なる。

一方、出版事業は何十万単位という、飽く迄「マス」を志向する。

当然の事ながら、「自己啓発」を希望する、個々の「インサイト」は無視される事になる。

露骨に言ってしまえば、「自己啓発」というキーワードを使用して、「セミナー」を開催したり、「本」を出版しても所詮、「マス」に向かっての一方通行で、結果、何のプラスの効果も期待出来ない。

更に厳しく言えば、「詐欺」に極めて近いビジネスと思う。

基本的な話として、国内市場に特化した「ガラパゴス企業」に将来は無く、若者は近寄らないのが無難と思う。

村井氏の記事が指摘する通り、「マス」の変遷を巧みに捕え大成功したのが、Googleとアップルである。

果たして、この成功は長続きするのであろうか?

Googleは今後、「検索サービスに於ける独占」と「プライバシーの侵害」が世界レベルで問題になると思う。

先月のアゴラ記事、ドイツでYouTubeが敗訴 が、Googleの厳しい将来を暗示している。

方やアップルは今の所Googleの様な問題は起こしていない。

しかしながら、何処かで歯車の一つが狂えば、栄華を誇った任天堂の後を負う事になる。

これは、ジョブズがユーザーの利便性を追求した結果、音楽配信の仕組みを変革するという解になったからだと思われます。この意味においての仕組みとは、既存の流通業態やビジネスモデルを地殻変動なみに再構築することになるので、戦略が必要になります。そして特徴的なのは、ただ単に戦略のみで事業が遂行されるのではなく、そこにはセンスも必要となってくるのです。顧客にとって、ただ便利になって利便性が向上するというメリット以上に、そこにはプロダクト自体のデザインセンスなども重要視されてくるからです。こういった構造としての仕組みは、世界レベルでプラットフォームを抑えにいく動きになるため非常に競争が激しい。1人の天才によってゲームのルールが数年単位で塗り替えられていく世界だと思います。iモードの隆盛からスマートフォンへの移行まで10年あまりと短いなぁと思っていたのですが、よく考えたら任天堂なんて2004年に発売したニンテンドーDSが1億4000万台以上売れていたのにも関わらず、12年3月期の決算発表では432億赤字に転落してしまっているのです。ハードを普及させてプラットフォームを握ったかと思ってもその構造が数年で他に変わられてしまうかもしれない熾烈な世界です。

最近、「ノマド」と言う言葉が一種の流行となっている。そして、「ノマド」vs「大企業勤務」と言う文脈で語られる事が多い。

しかしながら、私は「大企業勤務」こそが実は、「ノマド」そのものではないかと密かに思っている。

何故なら、大企業が追い求めるのは何処迄行っても、既に消失してしまった「マス」である。広大なサハラ砂漠にある筈のオアシスを求め、砂漠の地平線の向こうに微かに見える蜃気楼を追っている様なものではないか?

断っておくが、私は30代前半の4年間を中近東に駐在し、ランドクルーザーで何度も砂漠を走破した経験がある。砂漠の過酷さはどの日本人よりも実感として理解している積りである。

さて、ぼちぼち結論に向かわねばならない。この時代、若者はどう生きるべきかである。

簡単に言ってしまえば、「賢いノマド」として人生を生き、楽しむ事だと思う。

大卒後、有名企業に就職するのは悪くないと思う。

そこで、砂漠で野垂れ死にする事が無い様に、生き抜く術を学ぶのである。

注意すべきは、大企業にありがちな、「形式主義」、「保身」、「事大主義」、「権威主義」と言った悪癖に染まらぬ事である。

会社の「格」や、「役職」と言った20世紀的価値は無視して、価値観を共有する、知人、友人のインサイトを徹底的に掘り下げる事を習い性とすべきである。

こういう生活を継続すれば、必ず20代の何処かで興味ある業種、サービス、或いはやってみたい事業が、朧げながらであっても見えて来る筈である。

その時は、迷わず独立して企業すべきと思う。

リスクを抑える為、小さく生んで大きく育てれば良い。

こう考えれば、21世紀と言うのは存外若者に取って魅力的な時代なのかも知れない。

山口 巌 ファーイーストコンサルティングファーム代表取締役