「勉強しなさい」と言わない大人は無責任だ

松本 孝行

studygiftで学費の寄付を募っている坂口さんの話題はBLOGOSでも活発に議論されています。

今回の騒動では明らかにstudygiftの仕組みそのものよりも、この大学生である坂口さんに批判が集まっています。その批判のほとんどが勉強をしていないことに対してですが、私はこれはすごくまっとうな批判だと思っています。なぜなら、大人は勉強していない大学生に「勉強しなさい」と言う責任があると考えているからです。

逆に「当事者同士の問題だから放っておけばいいじゃないか」という大人はすごく無責任ではないでしょうか。


そもそもなんですが今回のこの騒動というのは、坂口さんがしっかりと勉強していたらこんなことは起こらなかったわけです。奨学金も継続してもらえていたでしょうし、学費が困ることはありませんでした。そしてstudygiftでの打ち出し方も変わったでしょう。「日本中の写真をとってgoogle+に載せるための寄付を募る」などになり、今回のようなバッシングを受けるようなことはなかったと思います。

例えばアゴラにはたくさんの大学教授が投稿をしていますが、大学教授が勉強しないで奨学金がもらえなくなった学生に「勉強しなさい」と言うのは当然のことでしょう。それにもし、勉強をせずに寄付を募ろうとするのであれば、教職員は「その前に勉強しなさい」と言うでしょう。それが教職員としての責任だと感じて大学生を注意するのではないでしょうか。親や親戚も寄付を募る前に勉強しなさいと注意するでしょう。

では、私達一般の大人は勉強しない大学生を認めていいのでしょうか?私は認めるべきではないと思います。やはり最低限ここまでの学力をつけて欲しいというレベルである、単位というものを落としているのであれば「勉強しなさい」と注意すべきではないかと思います。例えそれで学生に嫌な顔をされて嫌われたとしても、です。

東浩紀教授はTwitterで大学生を放っておくことはよくないことだとおっしゃっています。たしかに今回の坂口さんを擁護したら「甘やかしている、人気取りか」と言われるでしょうし、逆に批判したら「嫉妬している」と言われるでしょう。でもそれでもやはり大人として大学生に「勉強しなさい」という義務が我々にはあると思います。

確かに最近の大学生は多様化しています。卒業してサラリーマンになって定年まで働く、というロールモデルはほとんど崩壊しており、学生中に起業したりする人もいれば、世界を旅する学生も増えてきました。坂口さんのようにSNSを活用する大学生も増えているでしょう。そういう多様性は歓迎されるべきだと私も思いますが、それもすべてしっかりと勉強しているということが前提です。世界一周旅行をしてたけど単位をひとつも取れずに中退しましたとなれば、その人自身が損をします。就活などでもいい印象を与えないでしょう。

寄付をするしないはどちらでもいいですし、こういうサービスがあることは悪くないと思います。しかし、それと勉強しない大学生は別の問題です。無視して放っておくこともできますが、やはり大学生のためを思うなら「勉強しなさい」と注意する必要が我々大人にはあるのではないでしょうか。勉強しない大学生を放っておくのは大人として社会人として、無責任だと私は思います。