「政策の不確実性」こそが景気回復の障害

池尾 和人

池田さんが、「増税で景気はよくなる」という記事を書いている。私も、基本的には同じ意見で、「政策の不確実性(policy uncertainty)」がいまや景気回復の最大の阻害要因になっているとみている。それゆえ、「政策の不確実性」の除去に努めることが、最大の景気対策だと考えている。


それで、昨秋(10/17/2011)に日経の経済教室に寄稿する機会があったときには、次のように書いた。

政府にできるのは、民間部門の将来の見通しを曇らせるような余計な不安要因を排除することだ。将来が不確かであるほど、自信の回復は妨げられる。この意味では、景気に悪影響を与えるからといって増税を先送りすることは、むしろ景気回復を遅らせかねない。

確かな財政再建の計画もなしに増税を先送りするだけでは、将来の不確かさを増大させる。いつ実際に増税が実施されるのか、その前に財政面の不安定性が顕在化しないかといった不安要因をいたずらに増やすだけになる。

逆にいうと、増税が実施されても、財政の持続可能性の回復につながり、将来の見通しを曇らせている大きな要因の一つが除去されるのであれば、民間部門の自信の修復に寄与する。大切な点は、増税か否かとか、増税のタイミングといったこと以上に、将来の見通しがよりクリアになるか、不透明になるかである。

景気回復という短期的課題を解決してから財政再建などの中長期的な課題に取り組むべきだという二分法は正しくない。先行きの見通しをしっかりと持てないことこそが、景気回復の最大の障害となっている。それゆえ中長期の課題の解決に注力することが、実は短期的課題の解決にも貢献すると考えられる。

ただし、こうした主張に対しては、「うすうす増税になるのではないかと思っていたときよりも、はっきり増税すると言われたときの方が支出を増やすことになるのか」といった趣旨の批判をいただいたりしている。また、今般の消費税増税の提案が、本当に「将来の見通しがよりクリアになる」ような内容のものなのかという問題がある。これらの点で、増税すれば景気がよくなるという言い方には、やや短絡的でミスリーディングなところがある。それゆえ、もう少し丁寧に考えてみる必要がある。

まず、後者の問題から取り上げると、上記の引用文の中ではっきりと述べているように、重要なのは「将来の見通しを曇らせている要因を除去する」ということであって、増税それ自体ではない。先行きの経済政策の動向が予測しがたく、そのことが不確実性を高める要因になっているという意味での「政策の不確実性」を削減することにつながらなければ、意味はない。不確実性が大きいほど、企業は設備投資を手控えることになるし、家計も消費を抑制して貯蓄に励もうとする。

したがって現状では、「財政と社会保障制度の持続可能な姿を示す」ということが、民間需要を引き出すためにも最も必要であると考えられる。現状では、財政と社会保障制度が持続可能性を失っていることは、多くの人々にとって明白であるにもかかわらず、抜本的な対応が何らとられていないということで、今後どのようなタイミングで、どのような対応を強いられることになるかもしれないという不確実性が(政策の対応のまずさで)引き起こされている。

しかし、今回の「税と社会保障の一体改革」なるものが、「財政と社会保障制度の持続可能な姿を示す」ことにつながっているかといえば、残念ながら、そうとは思えない。社会保障制度の思い切ったスリム化がなければ、消費税率を5%程度引き上げても、数年の時間稼ぎが出来るだけで、持続可能性は回復されない。したがって、今回の増税が実施されても、中長期的な「政策の不確実性」はむしろ深まり、景気回復につながらないおそれは排除できないと考える。

次に、前者の批判についてであるが、現状に関する人々の信念(belief)がどのようなものであるかに依存しているとしかいえない。期待値レベルの大幅な調整を伴わないかたちで、不確実性が減少するということであるならば、支出は拡大することになると推論できる。ところが、現実と不整合な信念が持たれているということを言い出すならば、どのような可能性も考えられることになってしまう。

例えば、現下の客観的な制約条件の範囲内で提示できる「財政と社会保障制度の持続可能な姿」は、かなり厳しいものにならざるを得ないとみられる。そのために、いま多くの人々が不安を感じながらも想定している展望に比して、「政策の不確実性」が除去された後に示される見通しが、より厳しいものである可能性は排除できないといえる。そうした場合には、将来の見通しがクリアになったから支出が増えるという気楽な話にはならないということも、確かにあり得ると思われる。

もっとも、そうした場合は大いなる「財政錯覚(fiscal illusion)」が存在している場合である。そうした大規模な財政錯覚が現在の日本には存在しているとするならば、「政策の不確実性」を削減することは景気回復につながらない可能性があるといえるかもしれない。しかし同時に、大規模な財政錯覚が存在するのであれば、政策対応の如何に関わらず、何らかの出来事等をきっかけに錯覚に気づかれると、需要が収縮して経済状況が悪化するというリスクを常時かかえているということになる。

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池尾 和人@kazikeo