自民党の終焉

池田 信夫

原発騒動の最大の敗者は自民党である。保守主義を標榜していたくせに原子力について党としての見解も出せず、民主党政権の再稼働方針に反対する始末。憲法改正案でも「国防軍」や「国民の義務」の話ばかりで、参議院改革にはふれない。参議院自民党が反対しているからだ。おまけに「200兆円の国債発行」など、無責任ぶりはパワーアップしている。


日本で保守と革新が対立していたというのは幻想で、責任倫理と心情倫理が対立していたのだ。自民党は与党だったときは国民にとって不愉快な決定もする代わりにその果実を得たが、野党になったら昔の社会党と同じ心情倫理の党になってしまった。民主党も野党になったら、激しく反原発を主張するようになるだろう。結果責任を負わないからだ。

これは日本に民主主義が定着していないためだろう。丸山眞男は戦前の「重臣的リベラリズム」が戦争を阻止できなかったことを反省して、戦後は大衆に根づいた「自発的結社」としての労働組合がデモクラシーを支える主体になると期待したが、それが間違いだったことを反省して、こう述懐している(『丸山眞男 人生の対話』)。

高度成長をぜんぜん予言していない。それは僕だけじゃないけれども、そもそも高度成長を見越してないんですから、これは最も誤った点です。こんなに豊かになるとは思いもよらなかった。僕が政治学を廃業したのにはいろんな原因があるけどね(笑)

日本のような貧しい国では、少ない富を分かち合う労働組合が民主主義の中核になると丸山は考えたのだが、貧困が高度成長で解決され、すべてを豊かさが解決したようにみえた。そして保守主義が社会主義に勝利したようにみえたが、実は高度成長の終わりとともに保守主義も死んだのだ。それはもともと「社会主義に反対するイデオロギー」として定義されるものでしかないからだ。

かつて「保守革命」を志向していた小沢一郎氏がバラマキ福祉や増税反対にこだわり、自民党が公共事業を復活させて「大きな政府」をめざす日本にあるのは、イデオロギー対立ではなく、税金にただ乗りしようとする野党と予算に拘束される与党の対立だ。本来の民主主義では、政権交代の中でどの党も責任倫理を意識するようになるのだが、日本では核の傘の中でアメリカが国防を担い、立法府の機能は霞ヶ関が代行したので、自民党は官僚にぶら下がって利権を分配する「野党」になってしまった。

しかしこれからは違う。アメリカにはもう日本の政権を動かす気はなく、官僚機構には日常業務はできるが方向転換はできない。秋までには選挙があるようだが、自民党が政権に復帰しても昔の日本に戻るだけで、何も変わらない。日本に本当のデモクラシーが定着するには、まだまだ時間がかかりそうだ。