公共投資の実施と財政赤字か否かは無関係

池尾 和人

企業金融(ファイナンス)論の基礎を学習したことがあれば、投資を行うべきか否かの基準が、与えられた資本コストの下で計算した、当該の投資プロジェクトの純現在価値(NPV)がプラスか否かであることは理解されているだろう。公共投資に関しても同様で、その公共投資に関する社会的にみた(外部効果も含めて計算した)純現在価値がプラスであれば実施すべきで、マイナスなら実施すべきではないということである。


この意味で、財政赤字だから公共投資も削減すべきだという議論は、全くナンセンスである。財政赤字であろうが、財政黒字であろうが、無駄な(社会的にみた純現在価値がマイナスの)公共投資は実施すべきではないし、有益な(社会的にみた純現在価値がプラスの)公共投資は実施すべきだという話である。要するに、この公共投資プロジェクトは、実態はばらまき(所得の再分配で、社会的にはゼロサムで追加的な価値を生むものではないの)で、実施すべきでないというのは論理的に意味があるが、国債の追加発行につながるからやるべきでないというのは、論理としては正しくない。

長期金利が記録的な低水準になっている中で、インフラの補修をはじめとして、社会的にみた純現在価値がプラスの公共投資プロジェクトは、少なからず存在しているとみられる(この記事を書こうと思ったきっかけは、この点を主張したサマーズの記事である)。財政赤字が拡大しているので、こうした公共投資プロジェクトの実施を見送ろうというのは、間違っている。こうした公共投資プロジェクトは、増税しても、あるいはその便益が将来世代にも及ぶならば建設国債を発行しても、実施すべきである。

以上の観点からは、自民党が6月4日に国会に提出した「国土強靱化基本法案」に対する、散見された批判の視点にはやや違和感がある。すなわち、こうした形で10年間に200兆円の公共事業を行っても、200兆円を上回る新たな価値は(外部効果を含めても)生まれないと批判するのなら分かるのだが、財政赤字を拡大させ、財政破綻につながりかねないという趣旨の批判は、既述のように論理的ではない。ところが、プロジェクトの内容に立ち入って採算性を論じた評論には、寡聞にしてお目にかかっていない。

換言すると、(A)某・土木学者の経済学理解がへんてこで間違っているという話と、(B)防災対策の必要があり、予想される災害の確率とそれが生じた場合の損害の大きさを考えると、対策のための公共投資は社会的にみてプラスの純経済価値を生むものであり得るという話は、別のことである。(A)だから、(B)ではないということにはならない。(A)であることは確かだが、(B)かどうかは真面目に検討されるべきだと思う。

もちろん、国土強靱化のための公共投資が、200兆円の支出でGDPを900兆円に拡大するほどの高い収益性を本当に有するものなら、その財源を赤字国債に求めるというのも奇妙な話である。堂々と増税を求めるべきであるし、成果を内部化して回収出来る度合いが高ければ、レベニュー債のような形態で資金調達すべきである。したがって、赤字国債の増発による資金調達を想定しているという点で、プロジェクトの本質がばらまきであることを示唆しているのかもしれないが...

--
池尾 和人@kazikeo