大学は主体的に学習する場

2012年06月13日 12:05

最近アゴラの二つの記事:「就職協定を廃止せよ」「日本から大学が消える日」で大学教育の意義に対する疑問が表明されました。

これらの記事の論点は、教育投資と経済成長の相関がないので、大学教育は無駄であり、大学の意義は主としてシグナリングにしかない、ということです。確かに、学生の選別のためだけに大学があるのなら、大学教育は無駄でしょう。

しかし、こういった意見は、大学を教育をしてくれる機関だという誤解から生じているように思います。 


大学は自分で勉強するところ

逆説的ですが、大学を教育サービスを受けるための機関と考えるのは、誤りではないかと思います。 大学は、自ら勉強、研究するところであって、あくまで大学はその場を提供しているだけです。

これを示す典型的な例を紹介しましょう。

アメリカの数学のPhDコースの場合、基本的に教授は学生を直接指導しません。研究課題を示唆したりすることはありますが、大学院生とのコンタクトの時間は週に30分もないでしょう。  将棋や囲碁の内弟子みたいなものです。 

例えば、アメリカのハーバード大学の数学教室の場合、金曜日の夕方にワイン&チーズという時間があって、ワインとチーズを出して、コモンルームに教授や学生が集まり情報交換します。 この時間プラス、オフィスアワーに教授を訪ねて行って、質問を少しするくらいです。将棋の内弟子が師匠に将棋を指してもらうのは、将棋の道を諦める時だそうですが、本当にそんな感じです。 

一流大学の場合は、外部から一線の研究者が来て、セミナーで講演するので、刺激にはなりますし、指導教員から、論文にする前の情報を教えてもらったりすることもありますが、大事な研究情報を教えてくれる教授もあれば、あくまで秘密という教授もいて、まちまちですし、それが生かせる学生は、余程、優秀な学生です。

セミナーも一般に開放されていますから、近隣の大学の学生がたくさん来ます。 

この例は特殊なものではなく、日本の大学の数学系の博士課程の場合は、個人的にセミナーをやってくれる教授もいますが、基本的には同じ、ヨーロッパの大学も同じです。

要するに、この場合は大学は教育の場を提供しているだけで、大学院生にとっては、教育環境、とりわけ世界的業績を上げている教授や優秀なクラスメートから、その雰囲気を吸収するというのが、ご利益です。 これは数学系に特有なのかも知れませんが、教授の研究の手伝いをさせられたりすることは全くないので、生物、化学系よりずっとましではないかと思います。  

大学の授業には意味があるのか?

このように書くと、学部生の場合は違うだろう、という声が上がりそうです。そこで、学部の様子を見てみましょう。 まず問題になるのは、大学の授業の有用性で、これに疑問の声が多いようです。

まず、授業など受けなくても、教科書を読めば、事足りるという意見があります。 これは、知識の吸収という意味では、恐らく正論でしょう。 多くの文系の授業、それも大部屋でマイクを使うような授業は、そう思います。例えば、G. MankiwのMacroeconomicsくらいなら一週間で通読できるでしょう。

ところが、知識の伝授ではなく、ノウハウを教える授業、例えば、数学の授業、特に演習となると、話は異なります。 数学のちょっとした専門書は、普通の学生にとって簡単に読めるものではありません。 私は3年生のゼミ向けに、N. KoblitzのIntroduction to elliptic curves and modular forms (読むのは1章のみ 内容の一部はここで見れます、このタダ見できる範囲進むのさえ難しい)を使っていますが、週一回のゼミで一回に2ページ進むのがやっとです。ブルーバックスのようにお話だけなら、一晩で一冊読めますが、本格的な論理が入って来て、主体的に論理を組み立てることが要求された途端に読めなくなるのです。

つまり、実技科目(数学、物理学、実験、実習、演習、外国語や少人数のゼミなど)と知識科目(多くの文系科目、生物、化学の一部、医学の実習を除く授業など)とは分けて考えた方がよく、実技科目にこそ、大学の授業の意味があると言えます。

しかし、実技科目の場合、積極的に勉強しようとしない限り、苦痛でしかありませんし、効果を上げるには、学生自らが、授業時間の2倍程度、自習する必要があります。
ゼミの場合はもっと必要です。 ゼミの発表の当番になると体調が悪くなり休む学生が出るのはこのためです。それだけ準備しても一回に2ページ程度しか進みません。 

結局のところ学生が自ら学習する意欲が高くない限り、学習に関する限り、大学生活は無駄だと言わざるを得ません。

教育投資と経済成長に相関のない理由

このように学習意欲が高い学生でないと大学生活は無駄なのですが、それは経済の観点からも裏付けられます。

教育投資と経済成長に相関が見られないというのは、下のグラフを見れば明らかです。

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(池田先生の記事から転載)

なぜ、教育水準の向上が経済成長に結びつかないのでしょうか? 

それは、簡単な仕事は、新興国にアウトソーシングされたり、情報化や機械化で姿を消しつつある一方、高スキルの労働力が希少になる、労働の二極化が起きているためでしょう。

今、経済成長のために求められる労働力とは、全体の中で一握りの非常に高い能力を持った人材であり、平均的に優れた多数の人材ではない。 そのため、国民全体の教育水準を上げることで、良質の労働力を確保し、経済の発展に資するということが、困難になっていると考えられます。 

大学生活を有意義にするためには、自らがトップレベルの能力を身に付けるようにしないと、大学卒業にふさわしい職に就くことは困難であると言えるでしょう。

このように経済成長への寄与という観点から見ても、トップクラスの人材を輩出する一流大学でなければ、意味はないということになります。

まとめ

大学は自ら学習する意欲の高い人間にしか、意味はありません。そのことを肝に銘じて、大学に入学して頂きたいと思います。 

(注)ここでは学習についてのみ書きましたが、大学の意義を人的交流に見出す意見もあることを申し添えます。

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